普通の女の子
2024-06-27 「無期迷途」運営チーム

Part.01

「あたしはそんなことしないわ。もし空気が読めない人がいたら、俺様は……じゃなく、あたしは実力で誰がボスか教えてあげるのよ!」

「いや、あのデスラブラジオの女の子たちは『誰がボスか』なんて言わないよな」

「じゃあ……傘でそいつらをやっつけるのよ!」

薄暗い借家でギャランは鏡に向かい、独り言を呟きながら普通の女の子のように話す練習をしている。


古鉄組から逃げ出して以来、シンジケートの普通の女の子のように振る舞う方法を考えるのがギャランの日課になっていた。その間、いくつかの借家を転々とせざるを得なかったが、そういった経験があったからこそ、より多くのシンジケートの女の子を観察することができた。


「今日はここまでにするか。ちょっと休憩だ」

そう言って、ギャランはソファに座る。口調を変えただけなのに、彼女は疲労を感じていた。そもそも自分の本性を抑えるのが苦手な彼女が、自分と全く異なる人物を真似るのは容易なことではない。

部屋が静まり返った後、彼女は目の前の空間を眺めながら、徐々に頭を空っぽにしていった。

ギャランが借りた家はこれで4軒目だ。最初の数軒は、住み始めて間もなく敵のマフィアに見つかりそうになってしまった。今はこの家に住み始めてから3週間経っている。ようやく転々とする生活から解放され、今後のことを考えられるようになった。


部屋は静まり返っている。20年近くマフィア生活をしていたギャランにとっては、かなり居心地が悪い。昔はチビとアレッサがいつも傍にいた。皆、仲のいい仲間で、彼らとの日々は騒がしかったが、とても楽しいものでもあった。毎日借金の取り立てに行くか、街で喧嘩をして、その後はシルビアおばあさんの店でアイスクリームを買って食べる。

自分がコンビクトになってから、家族の雰囲気は以前ほど和やかなものではなくなったが、それでも皆一緒だった。休養していた時期も、互いの傍にいたのだ。

しかし今、静かな借家には彼女一人しかいない。

いや、静かではないかもしれないが。


「×××、また負けた!クソ野郎、てめえイカサマしてねぇだろうな!」

「黙れ!だ、誰がイカサマだと!?自分の運が悪いのを認めろ。負けるのが嫌ならやるんじゃねぇ!」


安い借家は防音性が極めて低く、ギャランには隣のギャンブラーたちの口論や悪態がいつも聞こえていた。

「×××」

ギャランは小声で罵った。

「昼間からなに喧嘩してんだ?ギャンブルに負けて身ぐるみ剥がされろ!昔だったら、レンガ持って殴り込みに行くところだったぞ。マナーを教えてやるためにな!」


しかし、ギャランは隣に喧嘩を売りに行くつもりはなかった。今は自分の正体をしっかり隠さなければならない。マフィア組織を抜けてきたことも、ましてや古鉄組との関係も、誰にも知られてはならないのだ。


覚悟を決めて逃げ出したのだから、細心の注意を払わなければならない。全てを捨てた今、彼女はもうマフィアではなく、家業について考える必要も、無理に人を殺す必要もないのだ。彼女は望み通り、シンジケートの普通の女の子になれる。

もしその過程でうっかり少しでも露呈すれば、敵のマフィアたちが野犬のように嗅ぎつけるだろう。

彼女自身も古鉄組も、再び大きなトラブルに陥るはずだ。そうなれば、この逃走は無駄になってしまう。

ギャランはしばらく深呼吸をして、イライラした気分を落ち着かせた。

「落ち着け、ギャラン。今のお前は普通の女の子だろ。トラブルを起こすな。戦ったり殺したりするな。せっかく新しい生活を手に入れたんだから、もう壊さないようにしろ」


しかし、普通の女の子になるのはそう簡単ではない。長年マフィアの中で暮らし、知り合いは全員マフィアと何らかの繋がりがあったため、彼女は本物のシンジケートの普通の女の子がどういうものか、全く分からなかったのだ。

それでも幸い、デスラブラジオが彼女を助けてくれた。シンジケートのトレンドを先取りする番組の言う通りにすれば、間違いないはずだ。


服装やアクセサリーは洗練されたものであるべき。汚い言葉はNG。声は細く、ピッチを上げ、語尾は可愛くする。自分を「俺様」などと呼んではならず、「あたし」と言わなければならない。

ギャランは自分でまとめた普通の女の子のルールに従い、一生懸命デスラブラジオの女の子たちの真似をしていた。しかし、同時に違和感を覚えていた。ラジオに出てくる人々は奇妙で、理解しがたい話や行動をしている。彼女は何度も、「あいつらは頭がおかしい」と思った。


(でもよく考えてみると、普通の女の子って昔のあたしと全然違うよな。こういう違和感とか意味不明さこそ、方向性が合ってるってことなんじゃないか!?)


今日もまた新しい1日が始まる。ギャランは心の中で「今日も俺様は普通の可愛い女の子だ」と何度も唱えた後、DisMythを開いてネットサーフィンを始めた。

人にバレるのを避けるため、ギャランは生活用品を買う以外はほとんど外出しない。こうした状況下で、ダークウェブが外界に関する主な情報源となっていた。


以前家族は時々ダークウェブの話をしていたが、ギャランがそれについて尋ねるたびに、家族は口をつぐんでいた。母親や他の人たちは使っていたが、自分だけ触れることを許されなかったこのサイトは、ある種の「大人の世界」だ。古鉄組を去った後、彼女を守るために隠し事をする人は誰もいなくなった。ギャランはすぐに他の人からサイトの入り口を教わり、新世界の扉を開いた。そのサイトではシンジケートの全てを知ることができ、十分な資金さえあればダークウェブで何でもできると言われている。


「あそこのマフィアのボス、足が折れたのか?ははっ、ざまぁ見やがれ!昔よく喧嘩売りに来た罰だ!」

「MBCCの局長が行方不明?どうでもいい」

「シンジケートの死神・ダークウェブのナンバーワン暗殺者の伝説の詳細。またこの天使って呼ばれてる暗殺者か。すごそうだな」

「コメントしとこう。送信前にこの可愛い絵文字もつけないとな」


ギャランは可愛い10代の少女の設定でシンジケートのニュースを閲覧している。ダークウェブを利用し始めたばかりの頃、彼女は普通の女の子の設定を完璧にするため多くの苦労をしていた。

シンジケートのマフィアの法則の一つは、「自分が小物や新人だと思われないようにすること」だ。ネットサーフィンにも同様のことが言える。ベテランのふりをするには、少なくとも適切なハンドルネームとそれに見合うアイコンが必要だ。アイコンは猫やウサギなどを見つけるだけで簡単に解決できるが、ハンドルネームは難しい。ギャランはわざわざ響きのいいハンドルネームリストを検索し、無数のウェブサイトを見た後、やっと納得のいく名前を見つけた。

「_輝く、乙女心°C」――最後の「°C」は、他のハンドルネームを参考に彼女が自分で考えて付け加えたものだ。

ギャランはこの名前を見るたびにとても満足していた。

「俺様は天才だ!×××可愛すぎる!誰が見ても、可愛い普通の女の子だって思うだろ!」


しかし彼女は、普通の女の子がダークウェブのようなものにアクセスできないという事実にまだ気付いていない。


「ん?シンジケートのマフィアのボスに懸賞金?」

突然、1件の依頼任務が表示され、ギャランの注意を引いた。彼女はそれをクリックし、投稿者に具体的なマフィア名を尋ねる。

もちろんキャラを貫くため、「お願いします」と言うのも忘れない。

待っている間、彼女は少し不安を覚えた。シンジケートには数多くのマフィア組織があるのだから、古鉄組ではないかもしれないと自分を慰めることしかできない。

(大丈夫なはずだ。身を隠してれば、敵のマフィアもあたしが古鉄組にいないって気付く。そうすれば、家族は狙われたりしない)

(あたしが普通の人間になることが、今のところ古鉄組にできる最大の貢献なんだ)



しかし日中いくら心理的な暗示をかけても、夜になるとギャランには恐怖と不安が悪夢になってつきまとう。

夢の中で、彼女は前へと走り続けていた。背後からは強い硝煙の匂いが漂っている。走って走った先、目の前に突然無数の狂瞳武器が現れた。ギャランは動くことができない。狂瞳武器が振り下ろされた瞬間、母親とチビが前に立って自分を守り……


「嫌だ!」

ギャランは突然起き上がった。息を切らしながら周囲を注意深く見回した後、また悪夢を見ていたと気付く。


「クソッ……この野郎!夢の中でもあたしを放っておいてくれないのかよ!」

我に返ったギャランは罵らずにはいられなかった。誰も見ていないにも関わらず、涙がこぼれないように、ただ目を大きく見開いている。何度か宙に向かって罵った後、ここの防音性が高くないのを思い出し、呼吸を乱しながら無理やり自分を落ち着かせるしかなかった。


「これはただの夢。現実ではきっとみんな大丈夫だ。ここも安全だし、あたしがここにいることを誰も知らない」


ギャランは再び眠りにつこうとしたが、目を閉じると敵のマフィアが自分を殺しに来る光景が浮かぶ。まるで次の瞬間に部屋に押し入り、彼女を引きずり出してしまうかのようだった。

しばらくベッドで寝返りを打ったが、ギャランは諦めて起き上がり、視線を上げればすぐにドアが見える角度でうずくまった。


古鉄組を離れて以来、彼女は追いつめられたり、家族を皆殺しにされる夢を何度も見ていた。そのたびに目が覚めると夜明けまで起きており、未だに慣れることはない。


「大丈夫だぞ、ギャラン」

ベッドにうずくまる少女は、自分自身に囁いた。

「あたしの顔を知ってる人間はそんなに多くない。ちゃんと隠れてれば全部大丈夫だ」

「大丈夫。隠れてさえいれば、マフィアも狂瞳武器もあたしとは無関係だ」

「何の問題もなく普通の人になれる」


Part.02

どんなに心が強くても、寝ている間に何度も追われる夢を見るのは一種の拷問だ。

数日後、ギャランはとうとう耐えきれなくなり、相次ぐ悪夢で乱れた心を安定させ、精神的な支えになるものが必要だと考えた。

そして我慢できずに「戻って見てみるか」と思った。

そんな思いが芽生えてから、彼女はその決断を後押しする理由を100個探し出した。家に帰り、古鉄組の皆が最近どうしているのか、自分が去ってから状況は好転したのか、見てみたい。

組織のメンバーが皆無事であることを知り、悪夢の光景が偽物であり、去るという決断が正しかったと証明する証拠が欲しかったのだ。


(最悪、話しかけないで遠くから見るだけでもいい。自分の充電みたいなもんだ!)


ギャランはそれ以上深く考えず、パーカーを着て、マスクをつけ、髪と顔の大部分を隠してすぐに家を出た。

見慣れたエリアを迂回し、ギャランはこの旅の最初の目的地を簡単に見つけた。十字街201番地の近くで、シルビアおばあさんは今日もアイスクリームの屋台を出している。彼女は相変わらず優しい顔をしていて、人が良くいじめられやすそうな雰囲気だ。

初めてここに来た時、ギャランと舎弟たちはその外見に騙され、シルビアおばあさんにいたずらをしようとした。しかし結局、彼女に一人残らず捕まえられて頭を叩かれ、「亀の甲より年の劫」という言葉の意味を初めて理解したのだった。

当時、ギャランも傍にいた舎弟たちも皆子供だったため、根に持つことはなかった。それ以来、ギャランはいつもチビとアレッサを連れてここにアイスクリームを買いに来るようになった。一度アイスを奢った際、二人は彼女を「世界で一番の姉御」だと言うようになり、ギャランが古鉄組を去るまで呼び続けた。

ギャランは久しぶりに微笑んだ。彼らはギャランが組織の中で最も無知で役立たずだと知っていたのに、ほんの数個のアイスクリームだけでなぜか認めてくれたのだ。


そして運命か否か、この日シルビアおばあさんを訪ねてきたのはギャランだけではなかった。誰かが屋台に近づいてきたのに気付くと、彼女はすぐに身を隠す。


「シルビアばあちゃん、姉御は本当に来てないのか?」

聞き覚えのある声が聞こえ、ギャランはそれが自分の家族だとすぐに分かった。彼女が顔を出すと、案の定チビとアレッサがシルビアおばあさんの屋台の前に立っている。

ただ、一目で気付けなかったほど彼らはひどい状態だった。

二人とも明らかにやつれており、顔には新たな傷もある。腕と足には多くの包帯が巻かれていた。アレッサが1日中いじっていた黄色い髪も、今はほったらかしているようで乱雑に垂れ下がっている。唯一変わっていなかったのは、ギャランのことを話す時の目の輝きだけだ。


「来てないよ」

シルビアおばあさんは、事実を伝えるのが心苦しいかのように言葉を切り、更に続けた。

「あの子は一度も戻ってきてないさ」

チビとアレッサが明らかに落ち込んだのを見て、シルビアおばあさんは二人を慰めた。

「あんたたちの姉御が行方不明なのは、全く悪いことじゃないだろう?あんたたちでさえ見つけられないってことは、敵はもっと見つけられないはずさ。少なくとも、公の場に姿を現してないんだから今は安全ってことじゃないかい?」

チビとアレッサは力なく頷く。

「そうだな、姉御の安全の方が大事だ」


「ああ、あんたたちは最近よく頑張ってるよ」

シルビアおばあさんは冷凍庫からアイスクリームを取り出して、袋に詰めようとする。

「これを持って帰って、みんなで少し息抜きしな。きっとギャランも、あんたたちのそんな姿は見たくないはずだよ」

「いいよ、シルビアばあちゃん」

二人は顔を見合わせて言った。

「この後また……いや、組織のみんなは怪我してるから、遠慮しとく」


ギャランは隅に隠れ、親しい二人が去って行くのを見送った。その背中から、喪失感と苦しみが伝わってくる。彼女は二人に背を向けて壁に寄りかかり、悲しげに頭を垂れた。

(とっくに組織を逃げ出したのに、何であのバカたちはまだあたしを姉御だとか言って探してるんだ?身体にあった傷のうち、あたしのせいでついたものはいくつある?何も知らない間、あいつらはあたしをどう思ってたんだ?)


マフィアの本当の暗黒面に触れた時、ギャランはマフィアの中でその事を知らないのは自分だけだと気付いた。傍にいたチビやアレッサは、マフィアの凶暴さやその手口の残酷さを以前から知っていた。彼らはギャランの傍にいる間、お伴をすることに加え、ボディーガードの役割も担っていたのだ。

覚醒のきっかけとなったマフィアの乱闘以来、古鉄組は常にトラブルを抱えている。かつては抗争の後、各マフィアには不文の停戦ルールがあり、多少の休息ができた。しかし全マフィアの攻撃対象になってからは、組織の全員が息をつく暇もなかった。多少名の知れたマフィアは古鉄組の実力を試そうとし、頭の回るマフィアは馬鹿げた口実を作って喧嘩を売ってくる。そして恥知らずなマフィアは直接戦いを挑んできた。ギャランは争奪戦のターゲットである「資源」として、多くのマフィアに監視され、毎回トラブルの中心にいた。


古鉄組を離れる少し前の抗争で戦っていた相手は、恥知らずなタイプだった。口実もなく、武器を手に堂々と略奪しようとしていた。

「お前ら古鉄組のその小娘は、まだ雑魚みてぇだな。マフィアのくせにお人好しで手も出せねぇなんて、マジで笑っちまうぜ。そいつが古鉄組にいる限り、お前らに平穏はねぇぞ。お前ら、そいつを育てる方法も知らねぇんだろ?だったら俺たちに寄越せよ。シンジケートの最強の武器になるよう、ちゃーんと調教してやっから」


「そんなことさせるか!」

チビは追っ手を弾丸1発で動けなくすると、ギャランの方を向いて叫んだ。

「姉御!ここは俺たちに任せて早く逃げて!」

「嫌だ!お前たちを置き去りにするなんて絶対嫌だ!」

ギャランは通信道具をしまい、仕込み傘を振りながら言った。

「組織のみんなには知らせたから、すぐに応援が来るはずだ!それまでは、あたしもお前らと一緒に戦う!」


しかし当時のギャランはコンビクトになったばかりで、まだ能力を十分にコントロールできなかった。致命的な一撃を与える術がないことも相まって、半殺しがギャランの最大限の凶暴さだった。しかし彼女は、連中の貪欲さを甘く見ていた。彼らにとって欲望は時に命よりも重いのだ。狂犬のような敵のマフィアは古鉄組のメンバーを殴り倒していき、メンバーは逃げ帰ることしかできなかった。

チビは人目につかない物陰を見つけてギャランを呼んだ。

「こっちだ、姉御!俺が連中を追っ払うから、ここで隠れてて!」

「……行くな、チビ」

ギャランはチビを引き止めた。

「お前もここにいろ。連中もそのうち諦める」

「そんなのダメだ!」

チビは再び手にした武器を握りしめる。

「雑魚の分際で好き勝手しやがって、痛い目に遭わせなきゃまた嫌がらせに来るだろ!俺に任せて、安心してここに隠れててよ」


結局、チビや他の人たちは戻り、襲ってきた全ての敵を撃退した。しかしその代償として皆は身体に大小様々な怪我を負い、最前線を駆けたチビは特にひどい負傷をしたのだった。


敵のマフィアが言っていたように、トラブルや抗争は次第にエスカレートしていき、死傷者も増えていった。ギャランは自分の弱さを恨んだ。あれを守ればこれが守れず、状況を落ち着かせる能力もない。皆が窮地に陥ったのは自分のせいだと。

あのマフィアが言っていた通り、自分が留まっている限り、古鉄組に平穏は訪れない。月のない夜、ギャランは組織を去ることが自分にできる唯一の貢献だと悟った。



チビとアレッサの様子を見て、古鉄組を訪れることを諦めたギャランは、家に帰った方がいいとため息をつく。彼女は悲しみと無力感で息が苦しくなり、フードを脱いで、風がもたらす涼しさで頭をすっきりさせようとした。

しかし今日も、いつものように敵は彼女に息つく暇も与えない。


「そこの白髪の奴、止まれ!」

突然、男の声が響いた。ギャランが慌てて声のした方を見ると、見覚えのない男がいたが、明らかにチンピラのような風貌だ。男は遠くからギャランを指さし、ゆっくりと近づいてきた。

「このエリアは俺らのボスの縄張りだ!白髪の女は検査を受けてもらう!」


「白髪の女」が自分のことかは分からなかったが、ギャランは背を向けて走り出した。後ろのチンピラは、ギャランが走り出したのを見て当然「逃げるな」と叫びながら追いかけてくる。


ギャランは古鉄組の実際の仕事に触れたことはあまりなかったが、少なくともこのようなストリートの環境で育ってきた。路地で追いかけたり逃げ回ったりするスキルは、長い時間をかけて磨かれている。彼女はできる限り路地に入り、障害物を全て倒して背後の道を塞いだ。角にさしかかると素早くフードをかぶり、息を止めてゴミ箱の中に潜り込み、外の音に耳を澄ませる。

「クソッ、あの女どこ行きやがった。あんなに足が速いなんて、マジであの古鉄組のコンビクトじゃねぇか?」

ギャランは凍りついた。

(やっぱりあたしを探してたんだ!)

すぐ近くで歩き回る足音が聞こえていたが、汚い罵声とともに遠ざかっていく。ギャランはわずかに緊張を解いたが、それでも外に出る勇気はなく、ゴミ箱に隠れていた。どれほどの間、その中に隠れていただろうか。このような狭く緊迫感のある環境に一人でいると、彼女はいつも時間の感覚が曖昧になってしまう。

古鉄組から逃げた後も同じで、毎日が信じられないほど長かった。


長く待った後、彼女はそっとそこを離れ、大きく回り道をして誰もついて来ていないことを確認し、借家に逃げ帰った。

ドアに鍵をかけ、ギャランは呆然と周囲を見回す。脳が正常に戻るのに時間がかかり、今は安全だと自分に言い聞かせた。小さい声で悪態をつくと、ドアの取っ手を握る手がコントロールできなくなり、ドア全体を金属に変えてしまった。

ギャランはうつむき、冷たいドアにもたれかかる。そして時間を巻き戻し、コンビクトになる前に戻りたいと願った。

(こんな力が覚醒したって、災難とトラブル以外に何を生むていうんだ?)


Part.03

ギャランは自分が最も弱く、小物のコンビクトではないかと何度も疑った。

自らの手で誰かを守ることもできず、古鉄組の後継者でありながらその責務を担うこともできない。コンビクトという稀有な存在だというのに、この弱さは組織を守れないだけでなく、終わらないトラブルまでもたらした。

今では、危機に陥ってもゴミ箱に隠れるしかない。

「あたしは自分を守ることすらできない」


ギャランはイライラしながら部屋を行ったり来たりし、小さな声でぶつぶつと呟く。今朝は衝動的になるべきではなかったし、無計画に戻るべきでもなかった。その結果バレてしまった。真正面からぶつかりに行ったようなものだ。この借家もすぐに安全ではなくなる。もっと安全な場所を探し、一刻も早く引っ越さなければならない。

あれだけトラブルを起こしても、衝動的になる癖は治らない。覚醒した日にもう少しよく考えていたら、結末は全く違っていたのだろうか。


逃げた後の夢が偽りの悪夢だとすれば、覚醒した日はギャランにとって現実に起きた地獄だった。ギャランはつい力が覚醒した日のことを思い出してしまった。


「あ……姉御……は、早く援軍を……みんなを連れて……ボスを助けて」

あの時、血まみれになった仲間がギャランの元に駆け寄ってきた。その手は力なく彼女の手を掴む。強烈な錆の匂いに、初めて見るギャランはもちろん、その場にいた全員がざわめいた。

「チビ?何があった?母さんを……お前ら商品を受け取りに行ったんじゃなかったのか?」

ギャランは倒れそうなチビを支えたが、彼が座り込むと、ギャランの手も血で染まっていく。

「は……早くしないと……もう時間が……」

「チビ!」

チビは話し終えると気を失った。古鉄組の規則では、ギャランは戦闘に加わることができない。しかし規則を破り、その後母親に叱られたとしても構わなかった。その上、彼女の母親は家族全員を必ず守るような人だ。チビでさえこれほど負傷しているということは、他の人を守っている母親は……


ギャランは古鉄組に残っていた仲間を集め、すぐに衝突が起きた場所に駆け込み、組織のメンツを取り戻すために戦おうとした。


しかしそこは、「衝突」とは言い難い有様だった。

それは本物のマフィアの抗争だった。火薬と錆の匂いは強烈で、銃声と叫び声がこの煉獄の伴奏のように聞こえる。この辺りの人々はそれを聞いて既に感覚が麻痺していた。無数の人が音と共に倒れ、地面の至る所に折れた手足や残骸が散乱している。彼女は後に、これが近年でも最大のマフィア抗争だったと知った。このような悲惨な状況下で古鉄組のメンバーが無傷で逃げることなど当然難しく、死んだ者もいれば、障害が残った者もいた。

混乱の中、ギャランはすぐに母親の居場所を突き止めた。いつも凛々しい母親は、傷だらけになっている。しかし母親はその場を離れるつもりはないらしく、しっかりと地に足をつけ攻撃し続けていた。その後ろに多くの家族がいるからだ。


あまりに衝撃的な光景に、ギャランは頭が真っ白になった。彼女が呆然としている間にも、傍にいた仲間たちはその光景を見て慣れた手つきで銃を取り出し、叫びながら戦場に向かう。ギャランはそこでようやく我に返り、皆について古鉄組の中心――傷だらけの母親の傍に駆け寄り、慌てて助けようとした。

「母さん!何があったんだ?」

「ギャラン、どうしてここにいるんだ?危ないから、早く帰りな!」

母親はギャランを自分の後ろへ押しやる。そして突進してきた敵のマフィアの頭を撃ち、横に蹴り飛ばした。


初めてこのような光景を目にしたギャランは、自分が何をすべきなのか全く分からなかった。手にした武器もおもちゃのようで、ただ無意味に振り回すことしかできない。彼女は、自分が戦いの役に立たないことを悟った。だが仲間を連れて逃げるにも、どこへ行けばいいのか分からない。


「ギャラン危ない!」

ギャランが混乱している間、彼女が戦えないことに気付いた敵が、攻撃しようと突進してきた。彼女は無意識のうちに反撃したが、あまり効果はない。ギャランを救ったのは、駆け寄ってきた母親だった。母親が敵を刺すと、飛び散った血がギャランの顔にかかる。

「何だよ、これ……」

「ギャラン!何ぼーっとしてるんだ!すぐに帰るんだよ!」

「嫌だ!あたしが帰ったら、みんなはどうなるんだ!」

ギャランは頑として帰ろうとしなかったが、その場では頭が回らず、ただ手にした武器を強く握って皆を助けようとすることしかできなかった。


「油断したな、死ね!」

戦場では誰もが互いの状態に目を光らせ、疲れを見せた者に食らいつく。真正面から敵に立ち向かっていたブレンナだったが、ギャランを守るために隙を見せてしまった。そして、急襲してきた敵はそれを見逃さなかった。

「鬼ババア!今日がお前の命日だ!」

敵が取り出した武器は、普通の銃と違っていた。黒みを帯びた赤色の中心部から不穏なオーラが漂っている。少しでもそれに触れれば、オーラに巻き込まれ逃れられないかのようだ。

「何だあれ……あいつ気でも狂ってるのか!?」

今までこうした光景を見たことのなかったギャランでさえ、それの殺傷能力が分かった。

もしそれで攻撃されれば、母親が重傷を負うだけでなく、この場の収拾がつかなくなるに違いない。ボスが負ければ、他のメンバーも次々に倒されていくはずだ。そうなれば、家族、仲間、一見平穏に見える過去の生活、その全てが粉々に砕け散って消えてしまう。

(嫌だ、そんな未来絶対に嫌だ!)

「危ない!母さん!」

怒りと悔しさがこみ上げ、考える暇も余裕もなく、ギャランは狂瞳武器の一撃から母親を守った。

その時、未知の力がギャランの身体中を駆け巡る。彼女はその力で狂瞳武器を掴むと、敵を投げ飛ばした。特殊能力を得たと気付いたギャランは、救いの藁を掴んだ思いだった。家族を傷つけた者たち、平穏で静かな日々を壊した者たちに、彼女は次々と反撃していく。

ギャランの覚醒が戦場の風向きを変えた。

ギャランは狂瞳武器による攻撃を全てブロックし、強く打ち返す。倒れる者が増えていくにつれ、最初はギャランに気付かなかった者たちも、古鉄組が強大な戦闘力を持っていると気付いた。そしてその場面は、古鉄組がこの瞬間からシンジケートのマフィアの略奪対象となったことを意味していた。

「古鉄組に、コンビクトがいるぞ!」


ギャランは目を開け、必死に記憶と思考を引き離す。あの苦しい始まりを思い出すたびに、彼女は拷問を受けたような心地がするのだ。

あの瞬間から、彼女の人生は平穏なものではなくなった。本物のマフィアの後継者になろうと努力し、できないことでも無理に行う。一人でいる時でさえ、自分でも嫌悪するような思考が生まれた。

(なんで勝手にあたしを温室の花みたいに育てたんだ?隠す必要なんてなかった。慣れておけば、あの抗争はもっといい結末だったんじゃないか?)

(いや、母さんや他のみんなが隠し続けてくれれば……20年も隠してきたのに、なんで一生隠し通せなかったんだ?)

(もしあの日、あたしが衝動的にならずよく考えてたら、全く違う結果になってたかもしれない)


しかし残念ながら、世の中には「もしも」がない。

ギャランはため息をつき、もう苦悩せず、二度と「ちょっと見に行こう」などと考えるのを止めると決意をした。彼女が考えられる唯一の方法は、古鉄組から離れることだ。そしてこれからは普通の女の子になり、絶対に、二度と、マフィアの人間であるとバレないようにしようとギャランは思った。


目下の最優先事項は、より安全な引っ越し先を見つけることだ。ギャランはダークウェブを開き、使えそうな情報を急いで検索する。

「どうしよう、どうすればあの狂犬たちから逃げ切れるんだ……」

強力なボディーガードを雇うには多額の金がかかるが、彼女にそんな資金はない。いつものようにシンジケートのマフィアが最近頻繁に活動しているエリアを注視し、そこを避けるしかないのかと思っていた時、彼女は偶然あの「天使」のメッセージを再び目にした。

「この人、本当にすごいな」

ギャランは感心してこう続ける。

「こんなすごい人だったら、喧嘩売ってくる奴もいないんじゃないか?」

ギャランはふとあることをひらめいた。以前、チビとアレッサが言っていた「虎の威を借る狐」という言葉を思い出す。自分を守るために「天使」を雇う金はないが、彼女を探しに行けばいいのだ。

「ギャラン、お前ってマジ×××天才だぜ!」


重苦しい空気がようやく消え去り、ギャランは元気を出してダークウェブ上で「天使」の痕跡を探し始めた。

「こんなすごい人の隣に住んでれば、トラブルも少なくなるはずだ」

「普通の人としての新生活が、もうすぐ始まるぞ!」


Fin.