Part.01
「全部で300ディスコイン!まいどあり!」
K.K.はポケットから帳簿を取り出し、今日のやることリストに書かれた最後の1行に線を引く。そして汗の匂いも気にせず、今日の収入を丁寧に数え始めた。
(2000、3000、3500……)
今日の売上を白記事務所の収支額に合算すると、K.K.は戸惑った様子で眉をひそめる。そして計算が間違っているのではないかと思い、こめかみを押しながらまた最初から計算し直した。
「間違ってない……」
(でも、こんなことがあるのか?)
(必要な生活費を差し引いて、初めて手元に金が残った!)
(しかも半年滞納してた家賃も1ヶ月分払える!)
(白記事務所が初めて黒字で月末を迎えたぞ!)
(……)
残念ながら、この前例のない成功に対してK.K.の喜びは長く続かなかった。一瞬喜んだ後、すぐに利益が出た理由に気付いたのだ。
K.K.は無言で帳簿を見つめる。口角がひとりでにピクピクと動いていた。
(原因は明白だ。金が余ったのは、あのダメ人間たちがここにい!な!い!から!――つまり、酒代と賠償金がかからなかったんだ!)
それが分かると、K.K.は奥歯をギリギリと鳴らした。
軍団から大きな仕事を請け負ったと言って、あの二人が姿を消してからもうすぐ1週間が経つ。借金取りや復讐しに来た人、公共料金の取り立て……白記事務所の前はコンサート会場のようになっている。あの二人のダメ人間とつるんだ運の悪さをK.K.は嘆いた。
「はぁ……」
頭痛がするほどイライラしていたが、個人端末が鳴るとK.K.はすぐに電話に出た。
「もしもし、白記事務所です……」
「もしもし?……K.K.……K.K.ちゃん?」
聞き慣れた老婆の震える声が聞こえる。K.K.は声を出さずにため息をついた。
10分後――
商店街の角にある木の下で、K.K.は丸くなっている太った茶トラ猫を見上げた。
「暗くなってきたぞ!もう帰る時間だ!」
手のひらほどにも満たない夕日がちょうど猫の頭のてっぺんに当たっている。涼しくなってきたため、猫が震えた。
猫は目を開けるとK.K.が木の下に立っているのを見て欠伸をし、彼女の胸に飛び込む。
この猫は依頼人が引き取った野良猫だった。もう何年も経っているが、未だに街へ遊びに出ることが多い。老婆は足が悪いため、よく白記事務所に猫探しを依頼していた。K.K.は毎回この木の上から猫を見つけ、それを繰り返すうちに仲良くなっていた。そして猫は彼女をタクシーとして扱うようになったのだ。K.K.もギリギリまで待ち、太陽が沈む頃迎えに行くようにしている。
猫を肩に担ぎ、柔らかく艶やかなその頭を撫でていると、1日の悩みが消えていくようだった。
「どうだ?充電できたか?」
満足するまで日向ぼっこをしたようだ。
この猫の習慣はハクイツと酷似している。ハクイツはいつも窓枠に寄りかかり、日の光を浴びながら昼寝をしているのだ。その上、日光浴が足りないと「充電できていない」という理由で家事を断る……窓の傍から追い払おうとしても離れることはなかった。
猫は、早く家に連れていけと催促するように鳴いている。
しかし普段は食事をする暇もないほど忙しいK.K.が、今回は急がなかった。
彼女は先ほどまで猫が寝ていた枝をぼんやり見つめる。「ニャー」という鳴き声が、彼女が初めて猫探しの依頼を受けた時の記憶を呼び起こした……
当時、K.K.は白記事務所に入ったばかりだった。ハクイツは全員で猫探しにあたることを提案し、K.K.も練習として簡単な作業をいくつか任された。
今や事務所の管理経験が豊富となったK.K.の推測では、あの怠け者がそんなことを言ったのは、当時の白記がまともに食事ができないほど貧乏だったということなのだろう。
(新人に経験を積ませるために全員参加なんて……どうせ「人件費がかさんだから報酬上乗せして」とかおばあさんに言うつもりだったんだろ!)
アイディアがあることも、行動に移せることも悪くない。だが、三人がシンジケート中をひっくり返して探し回り、血を吐くほど疲れ果てても、猫の毛1本見つからなかった。
「もうめんどくせー!やりたい奴だけ好きにやれ!」
あの時もちょうどこの木の下で、澈が大の字になって横たわった。
そして彼の文句が終わった瞬間、木の上から「ニャーニャー」と鳴き声が聞こえたのだ。疲れて倒れそうになった三人はあっけにとられて一瞬顔を見合わせた後、ようやくその茶トラ猫がターゲットだと気付いた。そして、この木は依頼人のマンションから2ブロックしか離れていなかったのだった……
「もう半年か……」
K.K.は姿勢を変え、猫を胸に抱きかかえる。指が柔らかいお腹に沈み、温かく安心できる心地良さを感じた。
(そうか)
(ハクイツに救われて白記事務所に入ってから、もう半年も経ったのか)
Part.02
シンジケートで、犬や猫の捜索や水道の修理、デリバリーなどでギリギリ生活している奇妙な組織は、恐らく白記事務所だけだろう。
小さくても肉は肉だ。塵も積もれば山となる。そうして三人で食べていく分をなんとか確保していた。だがK.K.は、このような生活に満足していた。
(ちょっと貧乏で汚いだけだろ?少なくとも、毎日残虐なことばかり起きて、裏切られるような生活よりマシだ)
シンジケートの底辺のマフィアやチンピラは、生きるために必死というより、「シンジケートの街」を作り上げる背景の一部や、混沌としたピクセルと言った方が正しい。毎日諍いを起こし、喧嘩をしに行く。
原因はたいてい、マフィアのボスが膨れ上がった借金を返済できなくなり、チンピラたちに借金取りを足止めさせ、その隙に逃げることだ。
K.K.のことを知る者はなく、興味がある者もいない。どこにでもいる、ただのチンピラだ。彼女が死んでも、他のゴミが勝手にその穴を埋める。シンジケートというのは、底辺のモブキャラのための舞台ではないのだ。
いつか銃撃戦に巻き込まれて死体になっても、遺骨を埋めてくれる人はいないだろう。
K.K.は昔からずっとそう思っていた。
初めてハクイツに救われるまで……
それはごく平凡な午後のことだった。彼女と仲間たちは、いつものように時間稼ぎのため、借金取りの手下と小競り合いをしていた。
自分の実力で相手をかわし、できる限り隠れるのが普段のやり方だ。しかしその日、K.K.の隠れた場所はネズミ1匹逃げられないほど敵に囲まれてしまった。
殴られて意識を失う前、見慣れた背中がK.K.の目に映る。同じマフィアに所属していたチンピラだ。その瞬間、K.K.は裏切られたのだと悟った。
よくあることだ。借金の取り立て屋として雇われていた頃、こうした不運な人間をK.K.はたくさん見てきた。しかし今回、恨めしさと羞恥で怒りをあらわにした借金取りは、見せしめとしてK.K.を殺そうとしている。
大体、ストーリーがここまで進むと、空から颯爽とヒーローが登場する。しかしK.K.と白記の創設者たちとの出会いは、「颯爽」とは程遠いものだった。
(ちょっと……見てられなかったな)
「どいて~!ブレーキが壊れてるのよ!」
当時のハクイツは、まだあのかっこいいバイクを軍団から手に入れていなかった。ヘルメットを被り電動バイクに乗る姿は、デリバリーの配達員とほぼ変わらない。後ろに乗っていた澈も間抜けだった……そして甲高い叫び声の後、電動バイクは群衆に突っ込んだのだった。
「何してんだよ!まだ財布も盗めてないってのに!人なんか攫ってきて!」
「攫ってないわよ!彼女が勝手についてきただけ!それに、あいつらに殺されそうになってるの見たでしょ?」
「可哀想な奴だな。裏切られたんだろ」
「ねぇ、さっき彼女と目が合ったし……助けを求められたってことにしましょう!」
全てがあっという間の出来事だった。ぶつけられて眩暈を起こしている借金取りはぽかんとしている。勢いでハクイツの電動バイクに乗せられたK.K.は更に混乱していた。
重量オーバーの荷物を載せたバイクは、シンジケートの街を30分も走って追っ手を振り切った。早々に気絶していたK.K.は、こうして奇跡的に白記事務所の本部に連れて行かれたのだった。
「いや……あの頃、白記はまだできてなかったな。あのマンションは二人が生活するためのただの豚小屋だった」
茶トラ猫は同感するように鳴き声を上げる。
「はぁ……」
K.K.はため息をついた。
「お前は幸せだな。お腹が空いたら誰かが餌を口まで運んでくれるんだから……私はこの半年間、どうやって生きてきたかも分からない……」
彼女は当初、恩返しができればいいと思っていた。だがどうして白記に残って「一生懸命働く」ことになったのか、自分でも思い出せなかった。
翌日、ベッドから起き上がったK.K.は、マンションの汚さに絶句した。
アルコール中毒の「死体」が2体、身体を真っすぐにして床に横たわっていた。もし二人が寝言を言っていなければ、K.K.は自分が誤って殺人現場に入ったと誤解しただろう。嘔吐物や酒瓶、デリバリーのゴミなどが至る所に散乱しており、広いリビングは足の踏み場もなかった。
当時の状況を何度か思い返してみたが、K.K.はその時何らかの化学兵器に攻撃されたのではないかと本気で疑っていた。そして正気に戻った時には、既に身体が掃除を始めていたのだった……
掃除や料理が恩返しにカウントされるなら、K.K.は間違いなくシンジケートの「恩返し王者」となっているだろう。
白記の創設者たちは、使えるものは使い、よく使えるものは動かなくなるまで使うという信念を持っていた。彼らは歓迎会も開かず、K.K.の意向も聞かず、小物のマフィアのように壮大な計画を大げさに語ることもない。こうして、K.K.は白記事務所の三人目のメンバーになったのだ。
あの二人は適当な性格だったため、K.K.は気を使う必要がなかった。彼らは気兼ねせず日常生活の全てをK.K.に任せ、普段の些細な事柄や感じたことを包み隠さず彼女に見せた。
初日はあえて命の恩人と距離を置いていたK.K.だったが、2日、3日と経つと、自分が家族の一員になったように感じていた。
しかし……
新生活の喜びは、長く続かなかった。1週間後、K.K.は家政婦、シェフ、清掃員、派遣社員を兼務するだけでなく、事務所の会計も担当しなければならないことに気付いた。そうしなければ、いつ自分たちが腹を満たすために屋上で風を飲み始めるか、分かったものではなかったのだ。
そうして日々が過ぎていった。
K.K.はマンションに引っ越し、自然と白記の一員になった。
仕事、酒、ポーカー、支払いの催促に悩まされ……疲労し、面倒だとも思ったが、K.K.はこれまでと全く異なる生活を経験した。白記事務所は彼女の「家」と言えるだろうか?
この半年間、K.K.はこれについて何度も考えた。
かつての彼女にとって、この言葉は馴染みのない贅沢なものだった。そのため、彼女の想像の中で「家」とは神聖で完璧なものになっている。
白記事務所は彼女の家だろうか?
彼女の幻想を基準にすれば、答えは明らかに「ノー」だ。
社長は理不尽で怠け者でアルコール中毒。唯一の同僚は、サボることとポーカーしか考えていない。少しでも仕事をさせようものなら、死を前にしたように嫌がる。
そして月末には未払いの請求書が溜まる……K.K.にはどうにも理解できなかった。
(インスタント麺すら買えないほど金欠なのに、あの二人はどんな神経をしていたら朝起きてから日が沈むまで平然とサボれるんだ)
(まったく!あいつらと目が合っただけで、イライラしすぎて寿命が縮む!)
「ああ……」
勢いよく猫の身体に顔を埋め、息を吸った後、K.K.はようやく不快な記憶を追い出した。
「まあいい。くだらないことを考えても仕方ないしな。早くお前を家に送って、金を稼いだ方がいい」
「ニャ~」
商店街の交差点を抜け、K.K.は猫を抱えて右の路地に入る。
冷たい風が路地の奥から吹き、K.K.は感電したかのように寒さを感じた。ほとんど無意識に上着を閉め、猫を自分の胸に完全にしまうようにする。
「怖くないぞ。大丈夫だからな」
それは、抱えた猫ではなく自分を慰めているようだった。
(今月、何回目だ?何かに引き寄せられるみたいに、思わずこの路地に入ったけど……)
(いつも何も見つからないのに、諦めきれないのはなぜだ?)
K.K.は深呼吸をして、誰にもつけられていないことを確認してからゆっくり奥へ進む。
この路地は四方八方に伸びていて、隣のブロックへの近道になっている。土地勘と腕っぷしの強さを武器に、K.K.は昔よく時間を節約するためここを通っていた。
少なくとも、彼女がコンビクトになるまでは。
K.K.は拳を握る。今の彼女なら、体中にみなぎる力で簡単に木の板を真っ二つにし、石のタイルをバラバラにできる。更に痛覚を遮断でき、短時間であれば恐れるものはない。
しかしそんな力を持っていても、あの夜に起きたことを思い出すたび、K.K.の心に巣食う恐怖が蘇る。
彼女は両側の壁を見た。パイプと避難はしご以外、余計なものはなく居心地の良い清潔さがある。しかしそれが、ここの異常さを際立たせていた。
(シンジケートの路地が、こんなに綺麗なはずない……)
ゴミ箱も落書きもなく、ホームレスや走り回るネズミもいない。
しかしK.K.は自分の記憶を信じている……少なくとも1ヶ月前、彼女がコンビクトとして覚醒したあの夜、ここはこんな姿ではなかった。
Par.03
「言え、ハクイツはどこだ?」
最初は空気の読めないただのチンピラだと思っていた。しかし勢いよく振り下ろされる拳が、いかにその判断が間違っていたかをK.K.に思い知らせる。
一瞬顔を合わせただけで、彼女は反抗できずに縛られた。そして自分を囲む人間が多くなるにつれ、K.K.は彼らがシンジケートのマフィアではないことに気付いた。
「ハクイツはどこだ?」
同じ質問が何度も繰り返される。そのうちの一人が片手でK.K.の首を掴み、いとも容易く持ち上げた。
「お前ら……ケホ……アル中を探してどうする気だ……」
「アル中?」
まるで冗談を聞いたかのように、耳をつんざく笑い声が路地を満たす。
「あの方が、ただのアル中の首のために大金出すわけねぇだろ?」
K.K.の首を掴んでいるチンピラが、からかうように彼女の頬を叩いた。
「だが俺らも興味がある。何で大金出してまでアル中の首を欲しがる人間がいるんだ?ハクイツって奴は、昔何をした?そこまで恨まれるなんてよ。教えろ。面白かったら、さっさと死なせてやるよ。それとも……」
「お前も、自分がアル中って呼んでる奴がどんな人間か知らねぇのか?死を前にしても、道具として利用されてることすら気付かねぇとはな?あんな奴と関わり合いになるとは運の悪い女だ!はははははは……」
笑い声が大きくなり、K.K.の足もどんどん地面から離れていく。
「言え!ハクイツはどこだ?」
腹部への衝撃で、彼女は数回意識を失いそうになった。
(もう吐いちゃうか?)
(知り合って数ヶ月の人間のために、命を捨てるなんて割に合わないしな……)
これは、長年のシンジケート生活で培われた生き残るための正しい道であり、生物の生存本能だ。
「ふん……何のことだ。ハクイツなんて……知らない。人違いじゃないのか?」
しかし不思議なことに、口から出たのは全く別の言葉だった。
「ハク社長の情報を、お前たちなんかが知れると思ってるのか?……ペッ!くたばれ!」
理由は分からないが、K.K.には強い直感があった。
(こいつらにハクイツの情報を教えちゃダメだ。一言も!味方を売るなんて、私を裏切った臆病者と何も変わらないだろ?)
「丁重な頼みを断るとは、痛い目に遭わせる必要がありそうだな」
相手はナイフを取り出す。
絶望したK.K.は目を閉じた。
しかしどうしてか、あの二人の厚かましい顔が彼女の脳裏に浮かぶ。
(ふっ……いつからこんなに死ぬのが怖くなった?白記事務所みたいなところの何がいいって言うんだ)
(ああ、面倒だ!あのアル中二人は、どこでこいつらを怒らせたんだよ!結局、私が尻拭いしてるじゃないか!死んだら、化けて出てやる!)
その時、みなぎる力がK.K.の身体を駆け巡った。首の締めつけが消え、後ろに縛られていた手の拘束も解ける。K.K.は目を開け、その場の人々が驚愕しながら彼女を見ているのに気付いた。
「コンビクト?……ビビるな!相手は一人だ。一斉にかかれ。殺せ!」
K.K.がコンビクトの能力を使ったのは、それが初めてだった。
彼女は大勢を倒したが、更に多くの人間が彼女を取り囲んだ。
拳が雨のように降り注ぐ。痛覚を切断しても、身体から徐々に命が失われていくのを感じた……
これが、K.K.が鮮明に覚えている光景の全てだった。
再び目を開けた時には、翌日の朝になっていた。柔らかなベッド、明るい日差し、彼女は白記事務所のマンションの寝室で目覚めた。誰かが彼女を救出したのだ。
しかし、リビングの床には酔っ払った二人がいつものように横たわっている。K.K.の身体にも傷や痣はなく、普段の日常と何ら変わらない。まるで夢を見ていたかのようだった……
それでも、あの出来事と殴られた記憶はとてもリアルだ。
K.K.は走って路地に戻った。しかし今の綺麗な風景と同じく、あの朝の彼女も何も見つけられなかった。
茶トラ猫を依頼主に返し、K.K.は一人で白記事務所のマンションに戻った。
窓脇にもたれてダラダラする人影も、ご飯を作ってほしいと頼む声もない。
これが想像していた「家」のあるべき形だ。
しかし、初めて整然としたリビングと寝室を見て、K.K.は不安を覚えた。
最近のシンジケートはとても混乱している。いつも意図的にマフィアと距離を取っているK.K.でも、大規模な暴動や戦闘が起きたことは知っていた。
(私を襲った奴らか?)
絶望と無力感が再び彼女の心に押し寄せる。そして脳の奥にある記憶の欠片も引きずり出された。
それはK.K.が意識を失いかけ、目が血で染まり、トランス状態に陥った時に捉えた音と影だ。
――路地にバイクのエンジン音が響き渡る。
――冷たく、しかし聞き覚えのある声がした。
「やっぱりここにいた……クズめ……死にたいようね……」
K.K.は全身の力を振り絞って、なんとか頭を上げる。
その目に飛び込んできたのは、人々の間を俊敏に縫う青い人影だ。チンピラたちは皆、怒鳴り叫んでいた。刀が冷たく輝き、銃弾が空気を切り裂く……しかし、軽やかな人影はそれらを簡単によけていた。
青い刃は闇夜で光の流れを描き、革ジャンは風もない夜に音を立てている。まるで青い死神だ。ほんの数回息をする間に、周囲の人々は冷たい死体と化していた。
――「ごめんね、遅くなって」
K.K.のよく知る声だ。
――「日の当たるところにいなさい。あいつらにはもう、君の髪1本触らせないから」
彼女を抱きしめる腕は、とても温かかった。
自分を救った人物について、実はK.K.は既に答えを出していた。しかしハクイツと澈は、あの夜のことを話さない。おそらく、彼女を巻き込みたくないのだろう。
その決定に異論はない。彼女は分かっていた。自分のような底辺のチンピラとは違い、ハクイツと澈にはきっと人々に知られていないような秘密が多くあるのだと。
先ほど、老婦人が少しの隙間もなく親しげに猫を抱いているのを見て、K.K.の心は澄み切っていた。彼女が白記を離れがたく思い、自分の居場所だと感じているのは、恩を返したいという気持ちだけでなく、場所を変えて適当に生きていきたくなかったからだ。
茶トラ猫が心の優しい婦人と出会ったように、彼女は運が巡ってきた時、運良くハクイツと澈に出会った。ただそれだけなのだ。
彼女が何度となくあの路地に入ったのは、チンピラたちを調べたかったから、あるいは自分を餌にして正体不明のチンピラたちを誘い出したかったからだ。覚醒した力でハクイツと澈を助けたいと思っていた。
彼女は温室の花ではなく、もう役立たずのチンピラでもない。少なくとも、武力で自分を守れる自信はある。
仲間が危険にさらされているというのに、一人で留守番をするのはおかしい。その上……
(今月の給料をまだ貰ってない!もしハクイツの奴がどこかで野垂れ死んだら、誰に給料を請求すればいいんだ?)
「悪徳社長に給料を請求する」という考えが浮かぶと、K.K.の戸惑いが消えた。果てしない給料請求の旅に出ようと、トンファーを取る。
(まず軍団から情報を聞き出して……)
「白記事務所のK.K.さんでしょうか?」
ドアを開けた瞬間、白いエプロン姿の青年が現れた。彼はマンションの下にあるケーキ屋の店主だ。
「お届け物です。メッセージカードも付いてますよ」
K.K.はぽかんとしたまま箱を受け取る。透明な部分から見えるケーキを眺めると、なぜだか嫌な予感がした。
「このケーキをここの住所に送って。孫の誕生日を祝おうとしてるおじいちゃんがいるの。大事なケーキよ!急いでね!――ハクイツ」
カードに書かれた住所を見て、K.K.は頭痛を覚えた。
(あの二人、西区の半分もあるような遠くの依頼を受けたのか……何で直接ケーキ屋に配達を頼まなかったんだ?)
そう思ったが、デリバリーの経験豊富なK.K.はすぐに理解した。
(……遠いから、送料だけでケーキ代の半分はかかる……自腹でケーキを買ったのか?金がないのに?私はタダ働きさせられるってことか?)
「ふっ……」
そう悪態をつきながらも、K.K.はすぐに電動バイクに乗った。
(やっと安心できた……身寄りのない老人にケーキを買う暇があるなら、あのクズ二人はまだ安全だ……ずっと心配してたのに)
あの二人の生死に比べれば、老人にケーキを送る方が明らかに重要だとK.K.は思った。
エンディング
MBCC施設内、エネルギー溶炉1号――
「ぷっ!あははははは!もう1回言って。どうやって捕まったの?」
白記の三人組は、しゃがんで熱い湯気が立つマーラー火鍋を囲んでいた。火鍋のせいで全員の顔が赤くなっている。
「……道を聞こうと立ち止まっただけだ!まさか、MBCCがちょうどあの近くで戒厳令を敷いてたなんて知らなかったんだよ!」
「あははははは!」
ハクイツと徹は笑い転げ、箸が鍋のスープに落ちたことにすら気付いていない。
「何を笑ってるんだ!あのバカみたいなケーキの依頼のせいだろ!商品は届けられなかったし、警察には捕まるし!」
K.K.は怒りを込めて二人を睨み、隙を見て鍋から大きな肉を取った。
ハクイツは笑いながら澈に視線を向ける。澈はすぐに理解し、手を合わせてK.K.に頭を下げて謝った。
「悪かったって!住所をちゃんと書かなかった俺のせいだ、俺のせい!」
「K.K.、まぁ落ち着いて」
ハクイツは澈に続いて話し始める。
「ここは悪くないでしょ。食費も宿泊費もかからないし、借金取りや大家さんに捕まることもない。あたし、考えたのよ。白記事務所をここで発展させていくのもいいんじゃないかって」
「……」
(そんな恥知らずなこと、白記にしかできないかもな)
しかし、よく考えてK.K.はふと気付いた。MBCCは今の白記事務所にとって最適な場所かもしれないと。ハクイツたちの敵がどれだけ上手く立ち回ろうと、ここを探し出すことはできないだろう。脅威の度合いとしては大家と同レベルかもしれない。
この二人のトラブルメーカーがここに残ることは、きっといいことのはずだ。
心の中で静かにため息をつき、K.K.は仕方なさそうにこう言った。
「社長はあなただから、あなたが決めてくれ……」
「よし!やっぱりK.K.は根に持つタイプじゃないわね!」
「ちょっと、ちょっと!肉の奪い合いに能力を使っちゃダメよ!」
Fin.