Part.01
「もしもし、マックイーン仲介事務所です。ご用件をお伺いいたします」
「美術品の購入をお考えでしたら、お好みのアーティストや流派を教えていただければ、相応しい作品をご紹介できるよう尽力いたしますので……」
いつものように電話に出たアシスタントのミランダは、巧みな話術で相手の質問に答えていく。
「恐怖……スリル美術の流派でしょうか?」
アシスタントの言葉を聞いて、ベルベットのソファにもたれていたマックイーンが眉を動かした。そして、電話を持ってくるよう受付に手で合図をする。
ミランダは少し驚いた。普段はまず彼女が顧客リストを整理し、マックイーンがその中からよさそうな案件をいくつか選んでいる。選ばれなかった顧客へ丁重に断りを入れる方法を考えるのは、ミランダが毎日最も困っている仕事だ。
「すみません、お客様。少々お待ちください。先生がちょうど戻って来ましたので、この流派に関する美術品については、直接先生とご相談された方がいいかもしれません」
ミランダは学校を卒業したばかりの新人ではないため、マックイーンが珍しく興味を持ったのだとすぐに気付いた。
「先生……?もしかして、あんたがマックイーンか?」
相手の男は少し必死な様子だ。
マックイーンは綺麗なシガレットケースから細いタバコを取り出し、相手の非礼にも怒ることなく続けた。
「お客様はスリル美術の作品にご興味が?」
ミランダはノートとペンを渡し、ワインセラーからシャンパンを取り出してグラスに注ぐ。
こうした心遣いができるアシスタントに対し、マックイーンは賞賛を惜しまない。彼女はグラスを受け取り、財布からクレジットカードを出すと、可愛い服を買うようにと微笑みながらアシスタントに手渡す。そして最後に、相手を可愛がるように頭をポンポンと軽く撫でた。
「正確に言うと、私はエンフェル先生の作品の大ファンなんだ。先生の作品を買って別荘に飾り、客を招きたいと思っていてね」
(エンフェルねぇ……)
マックイーンは軽く鼻で笑うと、興味深そうに指で机を叩いた。
「お客様の趣味はとてもユニークですね」
マックイーンは皮肉を言っているわけではなかった。
エンフェルの名はニューシティの美術界に轟いているが、この美術家を崇拝することはあまり主流ではない。更にエンフェルは自分の作品を売ったことがないのだ――手の届かないような価格を提示する人間は多くいるが、実際に取引が成立していないということは、人気が高いとは言えないだろう。
エンフェルの才能はトップレベルだが、流行ってはいない。ニューシティの美術界で彼女は異端児だ。
「エンフェル先生について贔屓目なしに言わせてもらうと、私の趣味が独特なのではなく、今の美術界がエンフェル先生の優れた技量を真に理解していないんだ!」
「彼女の父親が『真実の人』を創作した時から、私はスリル美術に注目していた。美術界はこの流派の前衛性と特有の芸術性をもっと早く認めるべきだったんだ。オークション会社が彼女の作品を扱っていないだけで、エンフェル先生の芸術的地位を否定するのは違うだろう!」
その点に関して、マックイーンは頷いた。
2ヶ月前、エンフェルは彫像『虚妄の人』で一躍有名になり、ニューシティのスリル美術の火を再びつけた。彼女の作品は――人物を再構築してコラージュした大胆な色彩と彫刻だ。スリル美術の名の通り、往々にして見る者に心の奥底からの恐怖を与える。この手の恐怖は我に返らせることなく、魂の深い部分に直撃し、人を絶望に陥れる……
皮肉なのは、これが芸術の本質に最も近い体験だというのに、美術品の投機家たちが本能的に距離を取ったことだ。
「ですがお客様。エンフェルをそれほど崇拝しているなら、個人の別荘という環境はスリル美術作品の展示に向いていないのはお分かりですよね?」
真に優れた美術品にとって、美術家自身の表現はもちろん重要だ。しかし展示する環境や形式などの細かな部分が、鑑賞者に更なる深い体験を提供する。
「もし賓客を招くためだけの装飾なら、他の流派を考えてはいかがです?もしくは、ご友人を『魔女の夜』に誘ってたっぷり楽しませては?巨匠が自ら手がけた展覧会ですし、その方がエンフェルの魅力をより一層アピールできるはずですよ」
「はぁ、問題はそこなんだ」
相手の声に切実さが滲む。
「友人と『魔女の夜』に行こうと思ったのだが、招待状を手に入れられなくてね。それで思わず大口を叩いてしまったんだ。エンフェル先生の貴重な作品を持っているから、私の家でも『魔女の夜』を体験できると……」
「助けてくれ!あんたと連絡を取るために、手を尽くしたんだ。多くの人から、あんたの勢力なら普通手に入れられないレアな物を入手できると勧められた」
「しばらくして『魔女の夜』が終わったら、私のもとに作品を見に来る人はいなくなる。これはエンフェル先生を宣伝する絶好の機会だろう!」
(ふん……『エンフェル先生の宣伝』?)
それを聞いて、マックイーンは冷笑した。彼女はグラスを目の前に持ち上げ、シャンパンの泡を側面から離すように揺らす。
彼も巨匠の名を使って自分の影響力を高めたいだけの俗人だ。こういう人間はニューシティにごまんといる。彼が本当にエンフェルの崇拝者かどうかは分からないが、結局ニューシティのルールから逃れることはできない。この欲にまみれた都市では、金と地位に対する人間の憧れこそが不動の1位なのだ。
友人も招待状も、美術界に長年いるマックイーンの経験からすると……ありきたりな言い訳でしかない。しかし顧客は一応顧客であり、ビジネスは単なるビジネスだ。
「もちろん、エンフェルの作品はご用意できますよ」
シャンパンを一気に飲み干し、マックイーンはこの話に乗った。
「ですがお客様。お分かりだと思いますが、全てのビジネスの前提は価格が公平であることです」
男は少しためらった後に答えた。
「……5000万!10作品用意してくれれば、1500万の手付金を払う」
「取引成立です」
マックイーンは口座番号を伝え、相手は躊躇することなく素早く金を振り込んだ。
「ただ、作品を手に入れるには少々時間がかかります。最悪の場合、私に合わせてパーティーのスケジュールを調整していただく必要があるかもしれません。ご理解のほど、よろしくお願いします」
男は快く承諾する。マックイーンは電話を切るとノートのページを破り、ミランダに渡した。
「この住所に行って、相手と契約を結んできてくれるかい?あとレイアウト案も決めるようにね」
「先生は今から『仕入れ』に?天気が悪いので、もう1枚羽織ってはいかがですか?」
マックイーンが出かけようとするのを見て、ミランダは急いで彼女に上着をかける。
「ありがとう、ハニー。君がいてくれて本当によかったよ」
マックイーンはミランダの耳に軽くキスをすると、彼女の真っ赤になった頬には目もくれず、素早く事務所を後にした。
Part.02
電話が切れ、エンジンも切れる。細い指がイライラとハンドルを叩いている。
契約通り、マックイーンはエンフェルの作品を持ってきた。油絵も彫刻もある。芸術鑑賞の観点からすれば、全てが傑作だ。引き渡しが終われば、残りの3500万がすぐに事務所の口座に振り込まれる。
しかし、マックイーンのテンションは全く上がらない。
先日のベルフェゴール美術館での出来事が、彼女の心をかき乱していた。
(「ジェニーン」という画家がまだ生きているとでも?)
マックイーンはバックミラーに映る自分を見た。身体に合った高級な服や高価なジュエリーは、いつも通り彼女の洗練されたセンスを表している。
しかし今、鏡の中の人物はどこか見知らぬ人に見えた……
「マックイーン」が彼女に美術界の最も暗く、真実である一面を見せ、彼女に馬鹿げた夢と芸術を追い求めることを捨てさせた。
世界とは本来このようなものだ。あの無邪気な小さな画家は、現実味のない幻想を抱いていたにすぎない。
人の心を見透かし、世界を見透かした。わざわざ演技をしなくても、「マックイーン」の名を完璧に受け継げる。まるでこの身分は、彼女のために用意されたかのようだった。
贋作が次々に闇市場に流れ、いわゆる社会の名士たちが1枚の贋作のために争うのを見て、彼女は心から喜びを感じた。
それなのに、今でもまだジェニーンという画家が生きていると彼女に言う人間がいるというのか。
(ふん、そんな地獄のようなジョークはやめてほしいね)
ベルフェゴール美術館から5キロも離れていない別荘の前で、マックイーンは扉がゆっくり開くのを見ていた。そこには、醜く太った金持ちの商人が笑顔で立っている。対してマックイーンは無表情だ。
握手や挨拶、意味のない社交辞令と自己紹介を経て、いつの間にか彼女は別荘の展示室の中央に立っていた。
商人は待ちきれず、エンフェルの作品を飾るよう人に命じる。展示室は、たちまち驚嘆と議論の声に包まれた。
興奮した商人はルーペを持ち出し、妖艶な青いダリアの前で隅々までキャンバスの質感を確認する。
もちろん、それは「本物」だ。能力で複製した作品は、エンフェル本人が現れない限り、真贋を判別することは決してできない。
しかし、やはり本物との違いはある。
『地獄の門』は、彼女が切り捨てられなかった過去を呼び起こした。
そしてマックイーンは、これらの額縁に閉じ込められた作品から、延々とエネルギーが集まるのを感じた。こうしたエネルギーはより純粋で……より人を狂わせる。明らかに、エンフェルが表現したかったものではない。
作品が次々と展示室に運び込まれ、商人と客の視線も熱を帯びていく。それを見て、彼女はエネルギーが徐々に強くなるのを感じた。
「皆さん!」
商人は興奮して手を擦っている。
「これらの作品は、間違いなく本物のエンフェル先生の作品です!」
彼はマックイーンに滑稽なお辞儀をし、大声で宣言した。
「ずっとエンフェル先生に注目していたファンとして保証します。エンフェル先生の作品が世に流通したのは、これが史上初です!」
その瞬間、爆弾を落としたかのように客が騒ぎ出した。美術界に多少詳しい人間なら、この「初」の価値が分かるだろう。
すぐにこの中の一つを購入したいという人物が現れる。これが連鎖反応を起こし、たった数分でプライベートパーティーが「即席」の美術品オークション会場に様変わりした。
最初に購入の意志を示した人間がこっそり人混みから抜け出るのを見て、マックイーンはこの「パーティー」の目的に気付く。
その場には数十人の客しかいなかったが、「エンフェルの作品が初めて流出した」という話題性がある。控えめに見積もっても、成約額は2億近くになるだろうとマックイーンは予想した。
彼女に残金を支払っても、1億以上の利益が出る。いい計算だ。
(これこそニューシティだ。そうだろう?)
マックイーンは微笑みながら人混みから離れた。
室内には人を狂わせる香りが漂っている。これで彼女の最後の不安も消えた。
ジェニーンという画家がまだ生きているかどうかは、その質問自体が無意味だ。ここはニューシティであり、ここのルールに馴染めなければ、いずれ誰もが窒息して死んでしまう。
(いや……あの蝶の傍にいれば……)
マックイーンは無邪気な人物を脳内から追い払おうと、力強く頭を振った。
少し歩いたところで、彼女は女性客の輪に目を留める。
「美しいお嬢さん方、エンフェルの作品について話しているのかい?」
「あなたが今回のパーティーを準備した仲介人?」
「ええ」
「じゃあ、きっとあれらの作品にお詳しいのでしょう?早く教えて。どの作品が一番価値が高いのかしら?」
他の女性客たちは携帯に何かを打ち込んでいる。マックイーンが横目で見ると、親戚や友人から金を借りようとしていた。
「本当に私の意見を聞きたいなら……」
マックイーンは声のトーンを落とし、わざと脅かすような口調で続けた。
「あれらの作品とは関わらない方がいい。魔女の夜の怪談を聞いたことはないかい?」
誇張された恐怖に、女性客たちはぽかんとして首を横に振る。
「長時間エンフェルの作品を見つめない方がいいという噂が流れているのさ。じゃないと……」
「じゃないと?」
「自分の恐怖に飲み込まれる」
しばしの沈黙の後、女性客たちは耳をつんざくような笑い声を上げた。
「つまり、あの絵の中に人を食べる怪物が隠れているとでも言うつもり?」
笑い声はすぐに収まり、女性客たちはマックイーンを無視してオークションに集中し始める。
マックイーンは肩をすくめた。
怪物はいないが、そこには人の心が隠されている……
「美しい可愛い子ちゃんたちに……幸あれ」
マックイーンの背後では、欲望という名の渦が絶えず集まっている。それに溺れる客の中に、やがて訪れる混乱に気付く者は誰もいない。
……
「ミランダ?レストランの予約は済んだかい?」
「バッチリだ。店員に……少し待つよう伝えてくれ」
車のドアが閉まってすぐ、マックイーンは事務所の前に立つ灰色の人影を見つけた。
(やっぱり……訪ねてきたね)
「ミランダ?」
「先生、他にも何か?」
「レストランの予約をキャンセルしてくれ。用事を思い出したんだ」
アシスタントがそれ以上質問する前に、マックイーンは携帯の電源を切る。そして歩いてくる灰色の人影を微笑みながら見つめた。
Part.03
毎朝8時、ミランダは早めに事務所に来て、顧客やマックイーンのために郵便受けから最新の『美術評論』を取り出し、本棚に並べる。
いつもなら、彼女はもう一度掃除をして電話やメール、昨日の書類に処理漏れがないかなどを確認するはずだ。
しかし今日、上着を脱いだミランダは新聞の一面に完全に意識を持っていかれた。記事になっていたのは、別荘で起きた不思議な事件だ。
「魔女の夜」が街中を騒がせた後、ニューシティでどんな奇妙なことが起きても、もう驚かないと彼女は思っていた。しかし、この記事は違う……事件現場は、数日前にマックイーンの代わりに契約に向かった場所なのだ。
「現場に生存者はなし……全ての客の死相は歪んでいた……エンフェルの作品が多く発見された……しかし美術館によると、エンフェルの作品は市場に出回ったことがなく、贋作である確率が高いと……」
――ジリリリ!
突然鳴った電話に、ミランダは驚いた。急いで応接室に向かい、受話器を取る。
「可愛いリンゴちゃん、私が恋しかったかい?」
電話の向こうから聞き慣れた声がした。
「あっ、先生!」
ミランダは今抱いた不安を一瞬で消し去る。
(先生がずっと事務所に戻らなかったのは、きっと遠い所に出張していたんだわ)
「最近、客は来ているかな?」
「いえ。先生もベルフェゴール美術館の事件はご存知ですよね……私は毎日、一人寂しく事務所にいるだけです」
これは事実だ。「魔女の夜」の後、ニューシティの美術品業界は冬に入ったかのようで、既に宣伝されていた展覧会も次々に延期されている。美術品の問い合わせも激減した。
「よしよし、安心してくれ。私が自分の事務所を捨てるはずないじゃないか~」
マックイーンは可愛がるような口調で、自分のアシスタントを慰める。
「でも、知っているだろう?プライベートオークションのことは話せないと。だから、少し暇ができた今、こうして君に電話しているんじゃないか」
「では、もうすぐお戻りになるんですか?」
「もう少しかかりそうだ。前回のオークションに大喜びした友人に、また手伝ってほしいと言われてね。客は丁重にもてなすように。依頼が入ったら、この番号にかけてくれ」
マックイーンがすぐに帰ってこないと聞き、ミランダは思わず肩を落とした。そして、前回別れ際に耳にキスされたことがよぎり、彼女はさっと顔を赤らめる。
「はい……事務所のお仕事はしっかりやります……」
その時、ミランダは新聞の一面を思い出した。
「先生、悪いニュースがあるのですが……」
「ん?悪いニュース?」
「先日、ある商人と契約をしましたよね?」
ミランダは新聞を手にして、マックイーンに別荘の事件を伝える。
「残金はまだ振り込まれていませんが……未払いのままになるのでしょうか?」
しかし、ミランダが予想した溜息は聞こえなかった。代わりに、軽蔑するような冷笑が返ってくる。
「あれはただの贋作だよ。残金を回収できなくても構わないさ。知っているかい?数日前、私は4億の絵が燃やされたのをこの目で見たんだ」
「え?4億ですか?」
「そんなに驚かないでくれ。私が教えたことを忘れてしまったのかな?」
(そうだ……現代美術は上流階級の人がお金と権力を追及するための、ただのおもちゃ……)
(確かに先生にそう教わったけど、それでも4億よ……)
「視野を広げるんだ。私の新しい友人には人脈があって、いつでもエンフェルの新作を入手できる。私たちの将来の目標は、たった4億どころじゃない」
「ですが先生、スリル美術の作品を……」
(まだ追う人はいますか?)
ミランダは続く言葉を口にできなかった。しかしマックイーンが、未熟なアシスタントの心の内を見抜けないわけがない。
「必ずしもスリル美術の流派とは限らないのさ。エンフェルは、全く新しい違うものに挑戦したいらしい」
「エンフェル先生の……オリジナル流派ということですか!?」
あのクリエイターは姿を消したわけではない。それどころか、独自の流派を作ろうとしている。美術界での経験が少ないアシスタントは、驚きを隠せなかった。
しかし、その興奮は長くは続かなかった。
「ですが……」
経験は浅くとも、彼女は知っている。美術家が異なるスタイルを模索して失敗する例が、あまりにも多いことを。
「この街の本質をまだ分かっていないようだね……」
マックイーンの口調には、珍しく軽薄さがなかった。
「『天才美術家』、『スリル美術の完璧な継承者』、そして我らがエンフェル先生の肩書きに『オリジナル流派』が加わったら、ニューシティのトップアーティストの一員になれる……美術界が、一人の美術家の未来を心配するとでも思ったかい?」
「甘いね、リンゴちゃん。天才美術家がスタイルを変えても、スリル美術の巨匠が自分を見失っても、どちらにせよ業界のビッグニュースさ」
「彼らが望んでいるのは、話題性と影響力。愉快で盛大な資本のパーティーだよ。覚えておくといい。これはニューシティの美術界の宿命だ。ここで真剣に芸術を追いかけた人間はとっくに死んでいるよ。だから……私は知りたいのさ。我らがエンフェル先生は、どこまで続けられるのかな?」
「あはははは!」
Fin.