シンジケートの野良の子
2023-08-21 「無期迷途」運営チーム


Part.01


「本当にこんな所に行かなきゃいけないんですか?」

カメラを持つサシャの手は微かに震えていた。彼女はシンジケートの姿を見たことがないわけではない。メディアで目にしたことがある。しかし巨大で荒廃した廃工場や複雑で奇妙な落書きを目の前にした時、理由もなく恐怖を感じてしまった。

「時代は変わったんだ、サシャ。シンジケートは変わった。マフィアはもう終わりで、今は再建委員会が全部を決めてんだよ」

ベテラン記者のマイクは、手にしていたタバコを揉み消して道端に投げ捨る。しかし、若いサシャはまだ不安そうだった。

「でも、まだ流民要塞があるじゃないですか。彼らが再建委員会とどれだけ騒ぎを起こしてるか知ってますよね?ニューシティにまで届いてますよ……」

「所詮、烏合の衆だ。再建委員会には全く歯が立たねぇ。恐れることはねぇよ」

軽蔑の表情を浮かべる先輩にサシャは思わず皮肉を言う。

「そう確信してるなら、なんで流民要塞の取材に行かないんですか?あそこには、先輩が大好きな『スリル満点のシーン』が沢山ありますよ。どう考えても、ここに来るより魅力的だと思いますけど?」

「お前は何も知らねぇな。シンジケートでの争いの記事なんてもう時代遅れだ。今、SNSで『シンジケート』って検索したら、シンジケート人がどれほど恐ろしくて暴力的かって話題しか出てこねぇ。そういうシーンはだいたい先輩や同業者が撮ったものだ。路上での殺人事件すら新鮮味がねぇ。取材はもう飽き飽きなんだよ……」

「注目されるには、別の角度からアプローチする必要がある。分かるか?」

「それで、あの『野良の子』を見つけようと思ったんですか?ファントムエンタメ傘下のペド趣味の新聞社たちに写真を送りつけようと?」

サシャは不満をあらわにして言った。

「あんな最低な会社、いつか潰れますよ!」

「……んなわけねぇだろ!何年経っても、悪趣味なメディアは生き残ってるじゃねぇか。まぁ、俺は奴らから金を貰うつもりはないけどな。これでもまともな記者だ。簡単に雇い主を裏切ったりしねぇよ」

「はい?じゃあ、なんで『野良の子』を探しに行くんですか?」

見習い記者のサシャは不機嫌そうに尋ねる。

「気遣いだよ。気遣いの心って分かるか?ニューシティの奴らだって、みんながみんなクズじゃねぇ。思いやりあふれる聖人みたいな人間もいるんだ」

そう言って、マイクはサシャに視線を送った。

「お前みたいな奴がな」

「何年も前から、シンジケートへの支援を求める声が上がってる――市議会の役立たずどもを批判して、他の人間は無関心でも、自分たちには良心があって意味のあることをしてるってアピールしてぇんだ」

「彼らは正しいことをしてるんです!」

サシャは抗議した。彼女はまだ学生で、学校のサークル活動でシンジケート人の権利を求める活動に参加したことがある。マイクの嘲笑は、彼女やサークル仲間たちにとって耳障りなものだった。

「正しい?何が正しいんだ?ここに来ようとしたことあんのか?口先だけだろ。まぁ金は稼げるから、奴らが見たがってるもんを提供すればいい――子供の不幸ほど人の心を揺さぶるものはねぇから……」

ペラペラと喋るマイクを、サシャが遮る。

「じゃあ、今まで誰もこのネタを取り上げなかったのが不思議ですね。みんなバカなんですか?」

「はは!」

マイクはポケットからタバコの箱を取り出した。

「いや、バカじゃねぇよ。ただシンジケートのクソガキどもは群れてやがるし警戒心が強い。そう簡単に騙されねぇってことだ。ガキを一人二人撮ったところで意味ねぇんだよ。地味で話題にならないからな。分かるか?」

「じゃあ、なんで先輩は彼らと連絡が取れたんですか?撮影や取材に快く応じてくれたのも疑問です」

マイクはタバコに火をつけると、すぐには答えずもったいぶってタバコを深く吸う。

「全てを教えたら、俺がお前の上司でいられなくなるだろ?」

「この業界に30年もいるのに、見習い記者の私の上司でいることがそんなに誇れることなんですか?」

「はは、俺の記事はもうすぐニューシティの主要メディアの一面を飾るから、お前のことは大目に見てやる」

そう話していると、路地の端から小さな頭が覗いた。

「どうやら仲介人のお出ましだ……ぼけっとしてんな、さっさとカメラの電源入れろ」

サシャは急いでレンズの蓋を取った。しかし、その小さな頭は臆病なウサギのように路地に飛び込んでしまう。二人が追いかけると、彼は次の路地の奥に隠れていた。

最終的にある倉庫の前に着くと、その子供は完全に姿を消した。

「斬新な案内の仕方だな」

マイクは息を切らしながらタバコに火をつける。その火が薄暗い倉庫の中で明滅し、かなり目立っていた。

「先輩が連絡した相手は本当に信用できるんですか?なんかマフィアの取引みたいな雰囲気ですけど……」

「まさか『野良の子』がマフィアじゃねぇと思ってんのか?」

マイクは煙を吐き出す。

「彼らはただの子供です」

「窃盗、詐欺、恐喝で生きてる奴らだ。ただ年が若いってだけで、マフィアと変わらねぇよ。再建委員会が手を出さねぇのは、捕まえんのが難しくて流民要塞ほど影響力も大きくないからだ」

「おじさん、そんなこと言ったら誰かが怒るわよ」

影の中からピンク色の髪の少女が静かに現れ、言葉を返そうとしたサシャを遮った。

その人物を見てマイクはすぐに表情を変え、タバコを地面に捨てて火を消し、意欲的に両手を広げる。

「サンティーさん、また会いましたね」

「面倒な挨拶はいいわ。それで、持ってきたの?」

ピンク髪の少女がこうした場面に慣れているのは明らかだ。サシャには、目の前の「サンティー」が子供というよりむしろ老練なビジネスマンに見えた。

「もちろん、忘れてませんよ」

マイクはタバコの箱を手に取ると、中から筒状の紙を取り出してサンティーに投げる。紙を開いたサンティーが笑顔を浮かべた時、ようやくサシャは少女にまだ子供の面影が残っているのを感じた。

「ニューシティの人間って本当にさっぱりしてるわね。自由に撮影していいわ。他の『野良の子』も協力させるから」

「『野良の子』を協力させられるの?じゃあ、あなたが彼らのリーダー?」

「リーダー?あたしが?」

サシャの質問にサンティーは少し驚いた表情を見せたが、すぐに笑って答える。

「そうでもあり、そうでもないわ」

「どういう意味?あなたが『野良の子の守護神』じゃないの?シンジケートのマフィアに、子供たちに対するトラウマを与えた強力なコンビクトでしょ?」

「下調べはしたみたいね。あたしたちのこと、何も知らないわけじゃないんだ。でも残念。あたしは『野良の子の守護神』でもコンビクトでもないわ」

サンティーの笑顔は影に覆われていて、何を考えているのか窺い知れない。

「あたしたちの『守護神』は別の子よ」

「じゃあ、なんで彼女は私たちに会いに来ないの?どうしてあなたが……」

言葉が口をついて出た瞬間、サシャはマイクが自分を睨んでいると気付くよりも早く、自分の失言を自覚した。

しかし、サンティーの口調に変わりはない。

「彼女はあなたたちとは会わないわ。あなたたちみたいな大人が嫌いだし、こんな些細なことに興味ないから」

「でも、どうしたって『野良の子』は組織だから、意思決定をする人が必要でしょ?『守護神』様がやりたくないなら、あたしが代わりにやるだけよ」

「さて、あたしにもやることがあるの。後で誰かが迎えに来るわ。それまで、ここで待ってて」

サンティーが背を向けると、影が彼女の姿を覆う。そしてすぐに、足音が聞こえなくなった。

「『野良の子』は本当に手ごわいぜ。一人は戦闘担当、もう一人は策略担当。そのうち、新たな軍団になるかもな」

マイクは再びタバコに火をつけ、深く吸い込む。

「で、今の会話は録音したか?」

「え?録音する必要あったんですか?」

サシャは困惑の表情を浮かべた。

「×××……本当に感心するぜ。お前みたいなアホにこの仕事は向いてねぇ!さっさと辞めて、クラブで酒でもついでろ……×××、長年やってても、お前みたいなバカは見たことねぇぞ」

マイクは悪態をつきながらタバコの吸い殻を投げ捨てる。

「今後、俺が指示しねぇ限りカメラとボイスレコーダーは止めるな。分かったか?」

「……分かりました、すみません」

自分の失態を自覚しているサシャは、謝り続けるしかない。

「×××……もっとまともな見習いが欲しいぜ。会社から割り振られんのは、こんな無能ばっかりでよ……」

マイクが吸い殻を蹴り上げたせいで、砂塵が舞う。

「まぁ、この特集が終われば俺は副編集長に昇進だ。そうなりゃ、お前みたいなバカと苦労して現場まで行かなくて済むな」

サシャは、自分の中に記者らしい一面が全くないと認めざるを得なかった。マイクは経験豊富な記者だ。今回シンジケートに来る際も、彼は人脈を駆使して多くの一次情報を入手しており、中には当局ですら知らないものもある。

(この人が少しでも、良心と人としての最低ラインを持ってくれたらいいのに)

サシャは静かにそう考える。彼女は大学のメディア学部に入学してから、優れた記者になり苦しんでいる一般の人々の正義を取り戻すことを夢見てきた。しかし、インターンで最初に出会った先輩はとても残念な人で、心底がっかりしたのだった。

マイクはサシャの気持ちなど意に介さず、満足げに喋り続ける。

「今回の特集は多くを語れる。『犯罪に頼るしかない絶望的な子供たち』、『未来の軍団の台頭への道』、それに『力を求めて危険に身を投じる野良の子』とかな……全部ニューシティのバカどもが好きそうな話題だ。閲覧数100万回なんてわけねぇよ」

「危険に身を投じる?」

サシャは直感的に何かおかしいと思った。

「彼らは何をしようとしてるんですか?」

「窃盗、詐欺、恐喝……奴らが犯す違法行為に危険じゃねぇものなんてあるか?しかも、ここはシンジケートだぞ」

「でも、彼らには『守護神』がいるじゃないですか。今、シンジケートのマフィアは壊滅状態ですし、それほど危険はないはずです」

「バカだな、危険がなけりゃ作ればいいんだ」

マイクは声を抑える。

「まずは情報をFACに漏らして、あのコンビクトのリーダーにトラブルを起こさせる。次にさっき奴らに渡した情報で……」

「彼らに何を渡したんですか?」

マイクは得意げにタバコをふかし、こう言った。

「何でもねぇよ。ただのリサイクルだ。俺たち記者には何の価値もねぇ情報だけどな」

「どんな情報ですか、教えてください!」

気の短いサシャは、この中年男性がもったいぶるのが一番嫌いだった。相手が上司でなければ、彼の顔面に平手打ちをして白状させていただろう。

「前にナオストリートでした独占インタビューだ。もう死んじまった情報提供者から聞いたものだが……」

「狂瞳結晶――その情報をサンティーに渡した」

「何を言ってるんですか?!」

サシャは一段高い声を上げて目をみはった。自分の聞き間違いではないかと思ったほどだ。

マイクはタバコで黄ばんだボロボロの歯を見せて笑う。

「んな反応してんじゃねぇ。×××の素人かよ」

「聞き間違いじゃねぇぞ。俺はあいつに、シンジケートにある最後の狂瞳結晶の情報を渡したんだ」


Part.02


「お嬢ちゃん、ちょっといいかい……?」

屈み込んだマイクの笑顔は、言い表せないほど滑稽だ。

「イヤ」

少女の答えはとてもドライだった。

マイクが拒絶されたのを見て、サシャは楽しそうに笑う。彼は顔を曇らせながら怒った。

「何笑ってんだ?できるもんならやってみろ」

「やってみせますよ」

サシャは負けず嫌いだ。彼女は、自分の隣でぼんやり立っている小さな男の子を見つけた。道端の色あせたお菓子のポスターを夢中で眺めていて、鼻水が口に入っているのにも気付いていない。

サシャは咳払いをした。

「こんにちは、坊や。いくつか聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「ひでぇ話し方だぜ」

マイクは皮肉を言いながらタバコに火をつける。

男の子はサシャに顔を向け、鼻をすすりながら言った。

「何が聞きたいの?」

自慢げにマイクを見たサシャは、男の子に向き直り尋ねる。

「君の名前は?」

「ドーズ」

「ドーズ?それってあだ名?君の本名を聞きたいの」

「本名って何?僕はドーズだよ。みんなにそう呼ばれてるんだ」

ドーズの目には生気がなく、戸惑いが浮かんでいた。サシャはすぐに質問を投げかける。

「君は『野良の子』にどれくらいいるの?」

「分かんない」

ドーズは少し考えるようにして続けた。

「気付いた時には、みんなと一緒だったから」

少し居心地が悪いのか、ドーズは尻を掻いている。しかし、その動きが大きすぎて服についたワッペンの糸が切れてしまった。もちろん子供たちが裁縫が苦手というのもあるだろうが、「I ❤ 西区」と書かれたジャケットは古すぎる。

「普段は何をしてるの?」

サシャは慎重に質問を続けた。

「食べて、寝て、みんなと遊んで……」

ドーズはしばらく真剣に考えていたが、最後にこう言った。

「それだけ」

「食べ物はどこで手に入れるの?服とかも」

「服はハリーがくれたよ。食べ物は……食べ物は街へ探しに行く。見つからなかったら、店に取りに行くんだ。 店に行くのは危険なんだよ、殴られるかもしれないから。 でも僕は速く走れるから、いつも殴られないんだ」

ドーズは顎を上げ、自分が「速いランナー」であることを自慢している。

「……父親と母親は?どんな人だったか覚えてるか?」

マイクはタバコを咥えたまま、寄ってきて尋ねた。

「覚えてない」

そう言ってドーズは鼻をすする。彼はこのおじさんの匂いに嫌悪を覚え、少し怖いと感じていた。お姉さんがおじさんに押しのけられているのを見てドーズは周囲を警戒し、ふいっと背を向けて走り去ってしまった。

「ついてねぇな、ここのガキどもにはどんな手段も効きやしねぇ」

マイクは悔しそうに鼻をこすり、サシャを見る。

「お前もそんな×××な顔してねぇでシャキッとしろ。二度は言わせんなよ」

サシャは、ドーズのインタビューを台無しにしたのがマイクだと指摘するつもりはなかった。彼もよく分かっているはずだ。今、彼の傷口をつつくのは無神経だろう。ただ、彼女はどうしても反抗する気持ちを抑えられなかった。

「子供たちがこんなに大変な暮らしをしてるのを見て、辛くなるのは当然じゃないですか?」

その言葉は、サシャの本心だ。2日間の取材で、彼女は今まで見たことのない様々な光景に目をみはった。ニューシティのSNSで映像や写真を多少目にしてはいたが、実際に目の前で起こっているとなると、感覚は全く異なる。

同時に、彼女は『野良の子』が安心で安全とはほど遠い生活をしていることを知った――更に悲しいことに、彼らはシンジケートの子供の中で最も恵まれた環境にいるのだ。

「お?同情してんのか?それこそ俺の望む効果だ。お前みてぇな聖母様が何も感じなかったら、ニューシティのメディアをどう感動させる?その調子だぜ」

サシャはそうした揶揄に応じる気分ではなかった。マイクを見て、我慢できずにあのことに触れる。

「マイクさん、この子たちに狂瞳結晶を盗ませるわけにいきません……そんなの酷すぎる。死んじゃいますよ」

「静かにしろ!」

マイクは自分たちの会話が聞かれていないことを確認するように周りを見回し、声を低くして言った。

「んなこと口に出すんじゃねぇ。このクソガキどもが団結してるかどうかも分からねぇってのに。もし話が出回ったら、万霊教団が一足先に殺しにくるかもしれねぇだろ」

「でも……」

「でもじゃねぇ。慈悲の心ってのはお偉方のおもちゃだ。俺にもお前にも見合わねぇんだよ。言うまでもねぇが、この仕事は過剰な同情心を持つと傷つくだけだぜ。特にシンジケートじゃ、他人を見殺しにすることは人助けになるからな!」

「でも、これは見殺しじゃありません。死なせようとしてるんです」

マイクは助手の愚かな発言に苛立ち、声を出して笑った。

「他に手があるか?どうすりゃいい?」

「このインタビューを新聞社に送るんじゃなかったんですか?」

「送るわけねぇだろ。こんなニュース、月に1000回とまでは言わねぇが800回は届いてるぞ。ロビーのジジイは全く興味を持たねぇだろうよ」

「それなら、この情報を再建委員会かFACに送るべきです。いずれにせよ、狂瞳結晶みたいな有害なものは政府に任せるべきですよ」

サシャはこれが正しいやり方だと確信し、早口でそう言う。

「それで? 野良の子に追い出され、インタビューは中止。その後、反狂瞳病イベントで二人の熱心な市民の大きな貢献に対して、再建委員会から旗が贈られるってか?」

「言っておくが、絶対やらねぇぞ!んなことしたって金は入らえねぇし、同業者の笑いものになるだけだ」

マイクの目は充血していた。インタビューは絶え間なく続いていて、彼は一睡もしていない。連日の仕事でもその精神は壊れていないが、中年男の身体は悲鳴を上げていた。

「やりたくなきゃ帰れ」

それがマイクの最後の警告だった。彼は完全に忍耐力を失っている。

サシャは口を閉ざした。帰りたくないからではない。マイクの人脈もなく、一人でシンジケートを十数ブロック抜けて再建委員会の本部までたどり着ける自信がないからだ。

助手が口をつぐんだのを見て、マイクは彼女をなだめる。

「帰らねぇならちゃんと仕事をしてくれ。正社員枠を用意してるから、上手くやりゃ社員になれる。年功序列の新聞社に応えてやる必要もねぇだろ」

そう言いながら、マイクはポケットからタバコの箱を取り出す。そして火をつけようとした瞬間、身震いした。何か恐ろしいものに見つめられているような、とても奇怪な得体の知れない感覚が背筋を伝ったのだ。マイクは30年間記者をしているが、神や幽霊などは信じていない。しかし、その感覚はあまりにも不気味だった。全身に不快感を覚える。

長い逡巡の末、彼は最終的に薄気味悪い倉庫を出て一服することにした。

マイクが出て行った後、サシャは少し落胆した様子でカメラを置いた。マイクのしたことは、彼女の中で完全に一線を越えている。彼女は初めて、ジャーナリズムを専攻に選んだのは間違いだったのではと思った。

しかし今、彼女に選択の余地はない。

「私がこのインタビューを担当できたら、あんな最低なおじさんよりはマシなのに」

サシャは自分を慰め、隣にあるベンチに座る。そして長時間立っていたせいで痛むふくらはぎをさすった。横から自分を冷たく見つめる視線に全く気付くことなく。

「わっ!!!」

ようやく異変を察知したサシャは、その影に驚き全身で飛び上がった。

「だだだだだだだ誰!?」

サシャはパニックに陥り、まともに話すことさえできない。相手は何も言わず、彼女の無様な姿を興味深そうに見ていた。しばらくして落ち着きを取り戻したサシャは、物陰に15歳くらいの青髪の少女がいることに気付いた。

年上のプライドから、サシャは自分の醜態を脇に置き、優しく接しようと努める。

「お嬢ちゃん、ダメだよ。何も言わずに物陰に隠れるなんて。怖いでしょ。ずっとそこにいたの?」

少女の答えは短かった。

「来たばかりよ」

「え?本当?お姉ちゃんに何か話したいことがあるの?」

サシャはカメラを構えた。

「心配しないで。お姉ちゃんはプロの記者だから……」

「時間がないの」

少女の返事はやはり冷たい。

「ただ確認しに戻ってきただけ」

「確認?何を?」

「あんたたちが野良の子の脅威になるかどうか」

少女の声に揺れはあまりなかったが、サシャは胸が締め付けられ、ほとんど無意識のうちに急いで説明した。

「記者の仕事は真実を報道し、正義を貫くこと。絶対、脅威にはならないよ」

「そんなの誰にも分からないでしょ」

少女が口を開くと、圧迫感に襲われたサシャは息苦しさを感じた――少女の言葉こそ脅威そのものだ。更に恐ろしいのは、少女の口から発される脅威が、サシャが今まで感じたことのない恐怖をもたらしたことだった。彼女は先ほど少女と会話した時、自分を「お姉ちゃん」と言ったことを後悔し始めた。年長者ぶった態度が少女を怒らせたのだろうかと思い、足を震わせる。

しかし、少女はサシャの反応を気にすることなく続けた。

「何も企んだりしないで。まして『野良の子』を傷つけるようなマネは絶対にね……」

「影があんたについていくから」

その言葉が終わる前に部屋の影が蠢き、唸り声を上げる。そして瞬く間に、少女は姿を消した。

「コンビクト!彼女はコンビクトだわ!」

圧力が消え、サシャは思わず小さく驚きの声を上げる。

あの若さで強烈な威圧感があったのも無理はない。あの少女は、非常に強い力を持った稀有なコンビクトだ。

(彼女こそ「野良の子の守護神」で、この組織の真のリーダー!それ以外ありえない!)

サシャは激しく揺れる感情を必死に抑え、ようやく落ち着いてから思考を再開した。

「彼女はサンティーとマイクさんが狂瞳結晶の情報をやり取りしてたって知ってたの?確信は持てないけど……あの反応を見る限り、彼女は『野良の子』の安全をとても気にしてる。そして狂瞳結晶は……明らかに『野良の子』をおびやかすはずだよね。ゾーヤレベルのコンビクトでさえ、狂瞳結晶の脅威に完全に対処できる保証はないわけだし」

「もしかして、サンティーが彼女に黙って勝手に決めたとか?」

サシャは、少女ときちんと話をしなかったこと、少なくともこの件を彼女に伝えなかったことを悔やんだ。 しかし、今更自分の意気地のない反応を悔やんでも遅い。子供たちが奈落の底に落ちるのを止める方法を見つけなければならない。

「あの子は大人が嫌いだってサンティーは言ってた。もし彼女が私に会いたくないなら、きっと見つけるのは難しい……サンティーと話して『守護神』がどう考えてるの伝えるべきかもしれない。そうだ!そうしなきゃ。『野良の子』が万霊教団の後を追わないようにするには、それしか……」

ガチャ――

倉庫のドアの音が彼女の思考を中断させた。タバコを吸いに出たマイクが中に入ってくる。

「さっき、誰と喋ってたんだ?」

「いえ、独り言です」

サシャはすぐにそう答えた。


Part.03


シンジケートの夜は暗い。立ち並ぶ古アパートには長らく人が住んでおらず、老朽化した街灯が一つ二つ、小さい音を立てながらぼんやりと明かりを放っているだけだ。

サシャは不安な気持ちで部屋を訪れ、ドアをノックする。やがてピンク色の髪の少女がドアを開けた。

「夜中に一人であたしの所に来るなんて、目的は何?サシャお姉さん」

サンティーはからかうような笑みを浮かべる。

サシャはここ数日、何度もサンティーと接触していた。彼女は、この少女が非常に狡猾で野心家であることを知っている。少女は「野良の子」を全力で運営し、あらゆる利益を遠慮なく手にしているが、決して優しい人間ではない。

サシャは、サンティーがどんなに賢くても子供にすぎないと自分に言い聞かせ、こう言った。

「あなたと二人きりでインタビューがしたいの」

「へぇ?マイクおじさん抜きで?」

戸惑い、説明に困っているサシャの様子を見て、サンティーは微笑みながら尋ねる。

「下剋上ってこと?」

その嘲笑を聞いて、サシャの脳が沸騰した。

「狂瞳結晶の情報を勝手に収集して『守護神』に黙ってるのも、下剋上だよね?」

サンティーの表情が凍りつき、いつもその顔に浮かんでいる狡猾な笑みが消える。

「彼女に会ったの?」

サシャは自分の読みが正しかったと理解した。

「会ったよ、今日のお昼に」

「おかしいわね。彼女はこの前、何かのトラブルに巻き込まれたって言って、私にも会いに来なかったのに。でも、あなたには会った――彼女が一番嫌ってる記者に」

「彼女は記者が嫌いなの?どうして?」

サンティーは肩をすくめる。

「彼女にとって、記者はみんな異常者なの。自意識過剰で、自分の目的を達成するためなら他人の気持ちなんて考えない」

「彼女はどこでそんな結論に至ったの?私たちはそうじゃないのに……」

サシャはそう弁明したが、あまり自信はなかった。

「さて、話を戻しましょ。サシャお姉さん、彼女に狂瞳結晶のこと話したの?」

サンティーの顔に、あのずる賢さが戻る。

「ううん」

サシャは正直に答えた。

「彼女から、あたしが勝手に動いてるって聞いた?」

「聞いてない……全部私の推測だよ。彼女と話したのは短い時間だったけど、最初から最後まで私に『野良の子』を傷つけないよう警告してた。彼女はきっと『野良の子』をとても大切に思ってる」

「それなのに、あなたはマイクさんから狂瞳結晶の情報を得た。狂瞳結晶みたいな危険なものを……BR-004が終わってからまだ日が浅いのに、彼女はきっとあなたの行動を認めないと思う!」

サシャは話すうちに自信を深め、最後にはほとんどサンティーを非難するような口調になっていた。

「私が何をしてると思ってるの?」

サンティーは表情を変えずに尋ねる。

「それはもちろん……えっと……」

サシャはふと、サンティーが情報を得た以上のことはしていないと気付いた。彼女はこの2日間、「野良の子」の拠点でインタビューをしていたが、子供たちに何の動きもなかったのはほぼ確実だ。

「あたしは情報を転売しちゃダメってこと?なんであたしが狂瞳結晶に興味があると思ったの?」

「でも……これは間違ってる……」

「お願い、サシャお姉さん。ここはシンジケートよ。あたしたちは、ただのホームレスの野良の子。マイクおじさんがこの情報を売るルートを持ってないからって、あたしが持ってないとは限らないわ。みんなが食べていく方法を見つけなきゃ。そうでしょ?」

サシャは言葉を失った。サンティーが狂瞳結晶を手に入れようとしている証拠を持っていないのは事実だ。ニューシティの人間が、道徳的観点からシンジケートの孤児の行動を批評することもできない。この時、彼女はようやくマイクが自分を「ニューシティの聖母」と言った意味を理解した。あまりにも無謀だったのだ。

「サシャお姉さん、あなたが善意で言ってくれたのは分かってるわ。ニューシティの人たちが、マイクおじさんみたいな悪い人ばっかじゃないってことも知ってる。心配しないで。万霊教団が一番大切にしてる狂瞳結晶を、あたしたち子供が盗めるなんて思ってないから」

サンティーはサシャを優しく慰める。

「あたしたちの『守護神』が戻ってきたら、このことを彼女に話すわ。あたしたちは、最も信頼できるパートナーで親友なの。当然、彼女に隠し事はしないわよ」

「あなたたちは仲がいいの?」

記者としての好奇心が再び刺激され、サシャは興味深そうに尋ねた。

「もちろん。ずっと昔から……まだ柳生にいた時から、あたしたちはとってもとっても仲良しだったのよ」

「柳生?」

サシャは当然このマフィアについて知っている。学校の先輩たちから、陰謀論に近い情報も多く聞いていた。ただ、ニューシティの権力が絡んでいて、そういったことは報道できないという。二人にそんな過去があったとは意外だった。

「詳しくインタビューしてもいい?」

「もちろん。サシャお姉さんみたいな素敵な人に会えて嬉しい。喜んでインタビューも受けるわ」

サンティーは笑顔で答えた。

「でも、もう遅いでしょ?まだ子供だから、早く寝ないと大きくなれないわ」

「そうだよね、分かった。じゃあ、明日の午前中はどう?」

サシャは気遣ってそう尋ねる。

「うん、約束ね」

サンティーの表情はとても誠実なものだった。

サシャはドアを開け、サンティーの方を向く。 サンティーは満面の笑みを浮かべ、手を振って別れを告げた。しかしドアが閉まった途端、サンティーの笑顔が急に険しくなる。

「その情報を持ってシンジケートを出て行くのは許さない。 少なくともコージに知られたらマズいわ」

「愚かで独善的な大人ね……残念。あなたのこと、結構好きだったのに」

サンティーの家を出て部屋に戻ったサシャは、ベッドに横になって安堵のため息をついた。全ては誤解だったのだ。シンジケートの子供たちは、マイクが言っていたほど悪人ではない。彼女は将来の無数の可能性について妄想し始めた。

(有能な記者になって、マイクさんみたいな老害の代わりに最前線で活躍する。シンジケートはゆっくり活気を取り戻して、ホームレスだった子供たちも最終的に自分の居場所を見つけるんだ……)

寝る前、サシャはFACにメールを送るのを忘れなかった。MBCCは狂瞳問題を解決するための専門組織だと聞いている。この問題を処理するには最適だ。

「ごめんねサンティー、少しだけあなたを騙しちゃった。でも心配しないで。戻ったらクラスメイトや先生と一緒に募金活動をするから。もうこんな危険な情報を売る必要はないんだよ」

「あなたたちには、明るい未来が待ってるから……」

そう思いながら、サシャは眠りについた。

ドーズは店から盗んだばかりのキャンディマシンを抱え、喜びに溢れながらシンジケートの通りを歩いていた。

(コージ様のおかげで、僕はここを堂々と歩けるし、どこかから飛び出してくる大人にこの機械を取られなくて済む)

そんなことを思いながら、彼は緑色のキャンディを取り出し、包装紙を破って口に放り込む。甘さが舌の上でとろけ、彼は心地よさそうに口笛を吹いた。

「野良の子はもっともっと良くなる」

ドーズはそう確信している。たとえ再建委員会が5ブロック先で流民要塞と激しく戦っていても、彼自身がいるシンジケートが既に壊滅状態であっても、一度も疑わなかった。「野良の子」たちは、より良い明日を迎えられると。

その原因はコージだけではない――最近戻って来ていないが、サンティーが彼に小さな秘密を打ち明けたのだ。彼女たちは、「野良の子」の運命を大きく変える可能性のある何かを盗もうとしている。それが叶えば、誰もがコージのような強い力を手に入れ、数え切れないほどのキャンディを食べられるのだ。「野良の子」は軍団のようなシンジケートの新たなリーダーになれるかもしれない。未来は誰にも分からないのだから。

明るい未来を想像していたドーズは、ふと通りに貼られた2枚の貼り紙に目を留めた。

ドーズにはそこに何が書かれているかは分からない。だがその写真の人物には見覚えがあった。だらしないおじさんと、背が高くて痩せている少しバカなお姉さんだ。彼らは先月「野良の子」の拠点を訪れていたが、突然姿を消した。その時、ドーズは残念に思った。頭の良くないお姉さんはいい人だと感じていたからだ。少なくとも彼女は、質問をする前におやつをくれていた。

(ニューシティに戻ったのかな?いいなぁ、僕もニューシティの人になりたい。毎日、着るものにも食べるものにも困らないし、危ないことにビクビクしなくていいんだもん)

(まぁいいや、考えるのやめよう)

サンティーは言った。「野良の子」は自分の幸せを自分の手で掴むべきだと。自分が十分強ければ、他人を妬むことはない。 そう思いながら、ドーズは口の中のキャンディを噛み、小さな拳を空に突き上げた。

「僕たちには明るい未来がある!」

Fin.